本記事では、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校のJames F. Kisielによる研究論文「Exploring a school aquarium collaboration: An intersection of communities of practice」(Science Education誌、2010年、オンライン公開2009年)を紹介します。都市部の小学校と近隣の水族館が結んだ連携を、「実践共同体(community of practice)」の枠組みで2年間追跡した事例研究です。
研究の背景・目的
理科教育において、博物館や水族館といった「非公式科学機関(ISI)」を活用することの重要性は各種のスタンダードでも謳われてきました。しかし実際には、学校とISIの正式なパートナーシップは例外的で、多くは個々の教師の努力に依存しています。そして、こうした連携がどのように築かれ、どこでつまずくのかについての記録はきわめて限られていました。
本研究は、Wenger(1998)の実践共同体論を用いて、この連携で何が起き、どう安定していったのか、そして関係者にどのような影響があったのかを明らかにすることを目的としています。
方法
2004年秋、大規模水族館の館長が徒歩15分の距離にある新設のキング小学校(仮名)に提携を提案しました。水族館側は年8回程度の出張理科授業と入館料無料化を提供し、全学級が参加を義務づけられました。
研究者は埋め込み型ケーススタディ(Yin, 1994)を採用し、2年間で教員・管理職・水族館指導員へのインタビュー等50件以上を収集。オープンコーディングののち、Wengerの「相互関与」「共同事業」「共有レパートリー」という3つの次元でデータを再構成しています。
結果・考察のポイント
1年目に生じた摩擦
初年度は、コミュニケーションの困難が最大の課題として浮上しました。教師は授業計画が直前まで届かず事前指導ができないと感じ、一方で指導員は授業案を送っても返答がなく「自分たちの努力が評価されていない」と感じていました。
興味深いのは、教師側が批判を口にできなかった理由です。無料で提供される資源に対して「贈られた馬の歯を数える」ような真似はできないという遠慮が、建設的なフィードバックを阻んでいました。
目的と優先順位のずれ
両者の実践は根本的に異なっていました。教師にとっては学習基準・テスト得点・国語カリキュラムが行動を規定し、指導員にとっては海洋科学への関心喚起という水族館の使命と、複数業務の締め切りが優先順位を決めていました。この「時間の優先順位」の違いが、本来ならもっと有効に接続できたはずの学習体験の価値を損なっていました。
2年目に生まれた「重なり」
2年目には状況が変化します。年2回の合同会議が設けられ、水族館側が学区標準の授業計画書フォーマットを採用したことで、双方が同じ言語で計画を共有できるようになりました。専用の「水族館の部屋」、水族館という施設そのもの、そしてプログラム評価も、二つの共同体をつなぐ「境界オブジェクト」として機能しました。
加えて、水族館コーディネーター、熱心な教員、評価者という三者が「仲介者(ブローカー)」の役割を果たしたことが指摘されています。
双方への影響
教師側では、理科の授業時間が確保されただけでなく、体験型指導の有効性を再認識し、自身の指導を見直す契機となりました。水族館の校外学習も「一回限りの行事」から、特定の展示を深く掘り下げる継続的な学習機会へと捉え直されています。
指導員側では、1年間同じ生徒と関わることで長期的な関係の意味を実感し、都市部の教室が抱える課題への共感が深まり、教育をキャリアとして考え直す者も現れました。
現場への示唆
本研究が強調するのは、生徒の成果に先立って「ステークホルダー自身の学習」が不可欠だという点です。連携の成否は、両者の文化的差異を認識し、共通言語となる境界オブジェクトを見出し、仲介者に時間とリソースを保障できるかにかかっています。これは学校と外部機関の連携全般——地域連携、大学との協働、部活動の地域移行など——に広く応用できる視点です。
まとめ
異なる文化を持つ二つの組織が協働するとき、摩擦は失敗の兆候ではなく、むしろ重なりが形成されていく過程そのものです。本研究は、その過程を丁寧に記述することで、「連携を築くこと自体が学習である」という理解を提示しています。
専門家コメント
この論文を読み進めながら、まず「実践共同体」の定義を確認するところから入りました。相互関与・共同事業・共有レパートリーという3つの次元は、抽象的に聞こえますが、本論文では具体的な場面に落とし込まれており理解しやすいです。
特に本論文から自分の実践に持ち帰りたいと考えたのは、①この連携で何が生じるのか、②その結果として何がもたらされるのか、という二つの問いの立て方です。連携の是非を問うのではなく、そこで起きているプロセスそのものを記述するというこの視点は、そのまま自分の研究や実践の枠組みとして使えると感じました。
表1にまとめられた二つの実践共同体の特徴——説明責任の圧力、過密な多教科カリキュラム、限られた理科の時間——は、日本の小学校の状況と重なる部分が非常に多いです。海外の事例でありながら、読んでいて他人事に思えませんでした。
連携がうまくいかなかった局面の描写も示唆に富んでいます。互いの目的が異なる、とりわけ「教えること」に対する目的が異なるという点が、摩擦の根本にあります。教師側は自分たちだけでは用意できない学習機会を期待していたのに、それが受けられなかったときに失望する。一方で水族館側は締め切りベースで動いている。この優先順位のずれが、連携全体に対してネガティブに作用していく構造は、外部連携を進めるうえで必ず意識すべきポイントだと思います。
それが2年目に改善していく過程で鍵になったのが、共通の指導計画フォーマットの採用でした。互いに歩み寄り、共有できるリソースが増えていくことで実践の重なりが広がっていく。この「関わる中で発展していった」という展開は、連携を一度の設計で完成させるものではなく、継続の中で育てるものとして捉え直させてくれます。定型化された授業計画が双方の実践の要になったという指摘は、我々の実践でも同じことが言えます。
もう一つ印象に残ったのは、成功の実感が子どもの様子から得られていた点です。生徒たちの熱意や興奮という情動的な経験が、教師と指導員の双方に喜びをもたらし、それが連携継続の原動力になっていました。同時に、それが教科学習の促進にもつながっている。情意面と認知面が切り離されていないという構図は、体育科教育を考えるうえでも重要な視座だと思います。
そして最後に、こうした異質な他者との協働は、結局のところ自分自身の実践を省察する機会になるのだということ。教師が体験型指導の力を再確認し、指導員が教室という場を理解し直したように、越境することの最大の効用は「自分の実践が相対化されること」にあるのだと改めて感じました。
元論文情報
- タイトル: Exploring a school aquarium collaboration: An intersection of communities of practice
- 著者: James F. Kisiel
- 掲載誌: Science Education, 94(1), 95–121 (2010)
- 発行年: 2009(オンライン公開)/2010(掲載号)
- DOI: 10.1002/sce.20350
- URL: https://doi.org/10.1002/sce.20350

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