本記事では、Thomas R. Guskey(ケンタッキー大学)による論文「Professional development and teacher change」(Teachers and Teaching: theory and practice誌、2002年)を紹介します。教員研修(専門性開発)はなぜこれほど期待されながら、これほど成果につながらないのか。その理由を「教師が変わる順序」から説明した、教師教育の分野で最も広く参照されている論考のひとつです。
研究の背景・目的
専門性開発プログラムの目標は、突き詰めれば3つに整理できます。すなわち、(1) 教師の教室における実践の変化、(2) 教師の態度と信念の変化、(3) 生徒の学習成果の変化です。多くの研修は、この3つのうち「まず教師の信念や態度を変える」ことから着手します。新しい指導法の望ましさを説き、教師の受容とコミットメントを得てから、実践に移してもらう——という順序です。
しかし著者は、この順序が経験を積んだ現職教師には当てはまらない可能性を指摘します。この想定は元来、Lewin(1935)ら初期の変容理論家が心理療法のモデルから導いたものであり、教師の変容にそのまま適用してよいとは限らないというのです。本論文の目的は、教師の変容の過程を捉え直す代替のモデルを提示し、そこから効果的な専門性開発の原則を導くことにあります。
「教師の変容のモデル」
Guskeyが提示するモデルは、次の順序をたどります。
- 専門性開発
- 教師の教室における実践の変化
- 生徒の学習成果の変化
- 教師の態度と信念の変化
従来の想定と決定的に異なるのは、教師の態度と信念の変化が「最後」に置かれている点です。教師の信念を変えるのは専門性開発それ自体ではなく、新しい実践を「うまく実施できた」という経験である、と著者は述べます。教師は、それがうまくいくのを見たからこそ、それがうまくいくと信じる。したがって信念の変容の鍵となるのは、自らの生徒の学習成果における改善についての明確な証拠なのです。
ここでの「学習成果」は広く解されており、テストの得点だけでなく、生徒の出席、授業への関与、教室での行動、学習への動機づけ、学校や自分自身に対する態度なども含まれます。要するに、教師が自らの指導の有効性を判断するために用いるあらゆる種類の証拠が対象となります。
著者はこの逆転を、感情のJames–Lange理論(悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい)になぞらえて説明しています。
モデルの裏づけ
このモデルは複数の研究から支持されています。教師の変容についてのエスノグラフィックな研究は、新しい考えや原理が「うまくいく」形に翻訳されてはじめて受け入れられること、そして大半の教師は自らの成功を、自分自身や他者の基準ではなく生徒の行動と活動によって定義していることを見いだしてきました(Bolster, 1983ほか)。
Guskey(1984)自身のマスタリー・ラーニング研究では、態度と信念の有意な変化が生じたのは、研修・実践への適用・生徒の学習改善の証拠という3条件がそろった場合だけでした。研修を受けただけ、あるいは実践しても成果の証拠が得られなかった場合には、態度は変わらなかったのです。
効果的な専門性開発のための3つの原則
このモデルから、著者は3つの実践的な指針を導きます。
1. 変容が漸進的で困難な過程であることを認識する
新しいやり方に習熟するには時間と労力の双方が必要であり、当初はむしろ仕事量が増えます。さらに変えることは失敗の危険を冒すことを意味し、それは現在の実践よりも生徒の学びが悪くなるかもしれない可能性に賭けることでもあります。だからこそ教師は、入念に設計された実験研究の証拠を示されてもなお、自ら築き上げてきた実践を容易には手放しません(Bolster, 1983)。プログラムへの忠実性と、各文脈への相互的な適応との間に、適切な均衡が求められます。
2. 生徒の学習の進捗について定期的なフィードバックを受け取れるようにする
成功した行為は強化され繰り返され、成果の見えない行為は減衰していきます。教師の第一義的な心理的報酬は、生徒の成長と発達に影響を及ぼしうる自らの力量について確信を得ることから生じます(Guskey, 1989ほか)。したがって、形成的評価などを通じて成果の証拠を教師の手元に定期的に戻す仕組みが、変容の持続にとって決定的に重要になります。
3. 継続的な後続支援と、支援・圧力を与え続ける
変化が実施の「あと」に生じるのだとすれば、当初の研修の質よりも、その後に続く継続的な支援のほうがいっそう決定的です。圧力と対になった支援は、実施という困難な過程に携わる人びとが、ときおりの失敗がもたらす不安に耐えることを可能にします。また圧力は、自ら変わろうとする推進力が大きくない人びとのあいだに変容を開始させるためにしばしば必要とされます。
現場への示唆
体育の授業改善に引きつければ、示唆はきわめて具体的です。単発の実技研修や講演会をいくら重ねても教師の信念は動きません。動くのは、教えた子どもたちが実際に変わったところを教師自身が見たときです。したがって研修設計の重点は、「良い話を聞かせること」から「小さくてもよいので現場で試し、その結果を教師が確かめられるようにすること」へと移されるべきです。そして著者が繰り返すように、専門性開発は「イベント」ではなく「プロセス」として捉えられなければなりません。
まとめ
Guskey(2002)は、「信念を変えれば実践が変わる」という直観的だが素朴な想定を退け、「実践し、成果を見たから信念が変わる」という順序を提示しました。20年以上を経てなお参照され続けているのは、この一点の逆転が、研修のデザイン・評価・支援体制のすべてに具体的な帰結をもたらすからです。
専門家コメント
まず押さえておきたいのは、Guskeyのモデルが「到達すること」ではなく「改善・変化すること」を成果として語っている点である。専門性開発の三つの成果——教室での実践、教師の態度と信念、生徒の学習成果——は、どれも到達すべき水準として設定されているのではなく、どの方向にどう動いたかとして記述されている。この捉え方は、教師の力量を静的な有無で測ろうとする議論と一線を画しており、教師教育を考えるうえでの出発点になる。
「教師の態度と信念を変えるのは専門性開発それ自体ではなく、うまく実施できたという経験である」という中核の主張には強く共感する。教師は、見たものと、自分で行ったものを信じる。私自身の実感とも一致するし、日本の体育授業研究の文脈でもまったく同じことが起きていると思う。授業をどう捉えるかは、目の前の子どもの活動によって規定されている。研究者や指導主事は「まず考え方を変えましょう」と語りがちだが、そこには教師の変容についてのモデルの取り違えがある。経験を積んだ教師には、別のモデルが必要なのだ。
「変えることは失敗の危険を冒すことを意味する」というくだりも重い。教師は、生徒の学びが今より悪くなるかもしれない可能性に賭けなければならないが、教職の性質上、その失敗する可能性を選ぶことが構造的に難しい。ここは私の博士論文における問題提起の主張とも重なる部分であり、緒言の論理として使えると考えている。だからこそ、支援と圧力を組み合わせて不安に耐えられるようにするという第3の原則が効いてくる。
フィードバックに関する指摘、とりわけ「教師の第一義的な心理的報酬は、自らの力量について確信を得ることから生じる」という記述は重要だと思う。満足感というものが、単なる副産物ではなく次の変容を駆動する条件として位置づけられている。ただし、フィードバックの対象が生徒に閉じている点は物足りない。教師もまた振り返る機会を必要としているのであり、成果の証拠を受け取るだけでなく、それを自分の実践の意味づけに変換する場が設計されなければならないだろう。
もう一点、実践的に有用だと感じたのは、継続的な支援と圧力についての議論である。これは、スポーツ教育モデルにおけるクライマックス・イベントや祭典性がもたらすものを理論的に補強する知見として読める。学期末の大会という「引き受けざるを得ない締切」が、教師にも子どもにも適度な圧力と支援を同時に与え、実践の質を押し上げていく構造は、まさにGuskeyの言う支援と圧力の対そのものである。あわせて、変容の過程における同僚や研究者との緊密な協働、すなわちコミュニティへの関与が有効であることも、この論文が繰り返し示すところである。研修を個人の学びとしてではなく、コミュニティにおける実践の変容として設計し直す必要がある。
元論文情報
- タイトル: Professional development and teacher change
- 著者: Thomas R. Guskey
- 掲載誌: Teachers and Teaching: theory and practice, 8(3/4), 381–391
- 発行年: 2002
- DOI: 10.1080/135406002100000512
- URL: https://doi.org/10.1080/135406002100000512


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