生徒の学習を妨げていたのは、私自身だった|Adopting a models-based approach to teaching physical education

2015年〜2019年

協同学習、スポーツ教育、戦術的ゲーム指導、個人的・社会的責任の指導——体育の授業モデルは、いまや現場でも研究でも珍しいものではなくなった。だが、これらのモデルはほとんど常に「一つずつ、単独で」研究されてきた。ある教師が、一つの学校のカリキュラムのなかで複数のモデルを使い分けながら体育を組み立てていったとき、その教師の身に何が起きるのか。この問いに実証的に答えた研究は、2018年の時点で一つも存在しなかった。

本稿で紹介するのは、Ashley Casey(ラフバラ大学)とAnn MacPhail(リムリック大学)が Physical Education and Sport Pedagogy 誌の2018年第23巻第3号に発表した研究である。複数モデル併用のモデルに基づく実践(models-based practice, 以下MBP)に取り組んだ教師1名の変化を、587日分の省察日誌から追跡した、この領域で最初の実証研究である。そしてその教師とは、第一著者のCasey自身である。

研究の背景・目的

体育においてMBPという語は、実質的に「単一モデルの実施」と同義になってきた。協同学習の研究、スポーツ教育の研究、ハイブリッド型(2つのモデルの組み合わせ)の研究は蓄積されている。しかし著者らは、MBPが「s」を持ちながらも、実際にはMetzler(2000)の言う model-based(単数)に縛られたままだと指摘する。Kirk(2013)が構想したような、それぞれ固有の学習成果をもつ複数のモデルを、カリキュラム全体にわたって使い分ける実践は、まだ誰も検証していなかった。

教師がMBPを使わない理由もはっきりしている。経験・自信・力量の不足を自ら認め、当初の革新期が過ぎると従来の実践に戻ってしまう(Casey 2014; Gurvitch & Blankenship 2008)。だからこそ著者らは、Fullan(2016)の「効果的な変革プロセスは、参加者の能力と主体性を築きながら、優れたアイデアを形成し、再形成する」という命題を引き、アイデア(MBP)と、能力/主体性(教師によるMBPの使いこなし)の両方を見る必要があると述べる。学校体育の指導法を変えようとするなら、その鍵を握るのは教師だからである。

本研究の分析上の問いは2つである。(1) このプロジェクトから、他の実践者が複数モデル型MBPを実施するうえで役立つ知見は何か。(2) MBP導入初期の主要な促進要因と制約要因は何か。

理論的枠組み

著者らは相補的な2つの枠組みを用いる。

一つは正統的周辺参加(Legitimate Peripheral Participation, LPP)(Lave & Wenger, 1991)である。学習を、共同体への参加のありようの変化として捉える。ここで重要なのは「周辺性(peripherality)」の両義性だ。教師がより深く関与する機会を与えられるとき、周辺にいることは力を与える位置(empowering position)になる。逆に、正統的に関与を妨げられているとき、周辺性は力を奪う位置になる。

もう一つは学習軌跡(learning trajectories)である。Strijker(2010)はこれを「特定の学習目標へと導く、学習目標と学習対象の合理化された構成」と定義した。LPPが非線形であるのに対し、学習軌跡は「目標」「発達的順序」「適合する活動」という3要素によって、ある程度の線形性を与える。本研究では「目標」=MBPアプローチの採用、「発達的順序」=教師が通過する段階、「適合する活動」=ある段階から次の段階への移行を促す活動、と設定された。

方法

調査校はイギリスの公立選抜制グラマースクール(仮名モンゴメリー校)。教師は第一著者本人で、当時中等学校での教職経験11年(うち9年が同校)、MBPを用いたユニットを15以上指導した経験をもつ、研究者でもある熟練実践者である。

分析対象は3つのユニットである。

  • 協同学習/戦術的ゲーム指導のハイブリッド:11〜12歳の男子45名(3学級)、侵入型ゲーム、12週間、週1回40分。3〜4名の「学習チーム」を編成
  • 協同学習:同じ3学級、陸上運動。ハイブリッド時とは意図的に異なるチーム編成
  • スポーツ教育:14〜15歳の男子29名(2学級)、サッカー、全12回、1回40分。コーチ・マネージャー・キャプテン・用具係の役割とフェアプレー点を導入

データは、(a) 生徒グループへの半構造化面接21回、(b) 授業後省察分析(PTRA)、(c) サイクル後省察分析(PCRA)、(d) 日々の省察日誌(計587日分)、(e) ユニット日誌(Gibbsの省察サイクルに基づく6段階)である。分析は2つの問いに照らした帰納的分析と継続的比較法による。

特筆すべきは、著者らがモデル忠実度(fidelity)を明示的に報告している点である。協同学習と戦術的ゲーム指導では、Mitchellらのテキストのワークシートを逐語的に用いるなどして高い忠実度を保った。一方スポーツ教育ユニットは忠実度が低く、実際には「カフェテリア方式」(モデルの一部だけをつまみ食いする方式)に近かったと正直に認めている。40分という授業時間と、教師・生徒双方のSE経験の乏しさが理由である。

結果

1.教師と生徒の事前学習

この教師と生徒たちは、以前から関係を築いていた。そのため生徒は「X先生のやり方」を理解しており、注意深く聞く、協働する、問題解決や発見に取り組む、といった前提条件(pre-requisites)をすでに備えていた。教師の側も学級ごとの反応を予測できた。「7Aは7Bより多く教える必要があると分かっていた。ただ水泳のユニットで協同学習を経験していたので、予想どおり枠組みにはすぐ馴染んだ」。1か月後には「彼らは協同学習と生徒中心の学習の言語に流暢になりつつある」と記されている。Casey(2010)の言う「教育学的流暢さ(pedagogical fluency)」である。

生徒自身も、学びの中身が走る・跳ぶ・投げるにとどまらないことを語っている。「ケイシー先生は近くに来て『こうしろ』とは言わない。ただ回ってきて、自分でやらせてくれる。何か間違っていれば助けに来て正しい軌道に戻し、また自分で考えさせる。だから自立心が養われるんだ」(7月の面接)。

2.実践の変化に向けた取り組み——最大の壁は「自分」だった

本研究の中核はここにある。教師はMBPの理念を全面的に支持していた。にもかかわらず、自分の関与を減らすことに一貫して失敗し続けた

1月の日誌にはこうある。「教室の混沌はほとんど私の本能に委ねられてしまう。そこが最も変えにくい部分だ」。同じ月の別の日には——「私は自分が丹念に築いたシステムを信じていないのか? それとも子どもたちを信じていないのか? それとも、ただ手を離せないだけなのか?」(7C、1月16日)。

ある日の第1時限で自分の支配的なふるまいに気づき、省察したにもかかわらず、同じ日の第2時限でそれを修正できなかったという記述もある。3月6日にはこう書かれている。「私はすべての仕組みを整えたのに、生徒が道標を読みながら自分で進むのを許さず、彼らを執拗に導いてしまった。私は彼らの成功に対して自ら壁をつくり、彼らが私の支援を必要とするよう仕向け、少し窒息させてしまった」。

目指す姿は明確だった。「私の意図はハイウェイ・パトロールになることだ。姿は見えず、法が破られたときや危険が明らかなときにだけ関与する」。

変化の転機は、各授業の期待事項を生徒と共有し始めたときに訪れた。「授業の内容について曖昧さが生じないよう、自分の期待をもう少し明確に説明する必要がある。……そして、授業の主導権と学習目標を生徒たちに委ねられるかどうか試してみよう」(7C、1月30日)。

そして3月10日、決定的な記述が現れる。「各グループはそれぞれ異なる方法で授業に臨んだが、どれも間違ってはいない。授業が進むにつれ、私はそのことを自分に言い聞かせなければならなかった。彼らが私の理想的なモデルに従わなかったという事実は、当初は受け入れがたいものだった。だが、それは私の関与すべきことではない。授業はいまや彼らのものだ」。

3月13日、教師は自らの役割をこう記す——「同乗者、観察者、このプロセスを促進した者ではあるが、今やそれとはほとんど関係のない存在」

3.実践の変化を考えるための十分な時間

時間は日誌に絶えず現れる論点である。教師は40分という授業時間の短さを繰り返し嘆く。著者ら自身がこれを「やや素朴な見方」と評しているのが面白い。経験を積んだ教師なら、重要なのは時間の量ではなく使い方だと言うだろう、と。

それでも教師は次第に変わる。「授業の時間配分では、少年たちが取り組む5分間の枠を3つとれた。何か意味のあることを達成するにはばかげた長さに思えるし苛立たしいが、協同学習の経験のこの段階の子どもたちにはこれくらいが精一杯なのかもしれない。それにしても、素晴らしい15分間だった」(7A、3月13日)。

一方でスポーツ教育ユニットについては率直な限界も記される。「全体としては協同学習と同様、社会的な学習のニーズを満たしているが、この短い時間でサッカーの発達や技能に寄与しているかは確信がもてない。SEもTGもCLも、短い授業には向いていないのかもしれない」(10B、2月2日)。

4.哲学と実践の変容

2月の省察日誌には、教師の教育観そのものの変化が刻まれている。

「『どのように』『なぜ』は、『何を』よりもはるかに重要だ。指導の方法、私の脱中心化、そして自分自身と仲間に頼れる生徒の育成は、バスケットボールやホッケーやフリスビーでパスができるかどうかよりはるかに重要である」(2月23日)。

そして、この論文で最もよく引用される一節——「私に起きた主なことの一つは、耳の詰まりが取れ、口が塞がったことだ。……人には耳が2つ、口が1つある。その比率で使うべきだ。私はもう、毎分400語で自分の知識をまくし立てたりはしない」(2月16日)。

さらに「多くの点で私の教育学全体が変わり、生徒の見方も大きく変わった。私が生産する製品ではなく、彼ら自身の作品の共著者のような存在だ」(2月18日)。教師は最終的に、「本物の指導(real teaching)」ではなく「本物の学習(real learning)」——生徒が授業後に持ち帰るもの——こそが成功の基準であるべきだと述べるに至る。

現場への示唆

結論部で著者らが強調するのは、次の点である。

第一に、周辺性は目標であり、同時に最難関だった。学習軌跡の「発達的順序」において、この教師にとって最も複雑な段階は「生徒の学習への直接的介入を減らす方法を見つけること」だった。言い換えれば、ファシリテーターの役割を引き受けることに最も苦しんだ。理念を信じていること、モデルを熟知していること、11年の経験があること——そのどれもが、この困難を免除しなかった。

第二に、この教師は「初心者のミス(rookie mistakes)」を犯した。生徒により中心的な役割を与えようとしながら、同時にいつもの一斉指導の実践をワークシートという紙の上に移し替えてしまったのである。授業のなかに、教師と生徒の両方が有意味な声をもつだけの余地はなかった。彼の声が中心的すぎて、正統的周辺性も周辺的参加も成立しなかった。

第三に、移行を促した要因は4つ挙げられている。(1) 同じ生徒集団と以前から関係を築いていたこと、(2) MBPの研究と、その基盤となる教育哲学への全面的な信念に投資していたこと、(3) 自分がMBPの教育学を実践できた/できなかった場面を特定し省察できたこと、(4) 各授業の期待事項を生徒と共有し、目標達成の道筋は複数ありうると受け入れたこと。そして、こうした変化には教師の側にも生徒の側にも時間がかかる、という認識である。

第四に、そして最も重要な提言として——MBPという形をとる教育学的変革は、複数の領域にわたる学習の改善を志向する実践共同体(community of practice)によって支えられる必要がある。この教師は、大学の博士論文指導チームからの支援はあったものの、同僚教師からの公式な支援がないまま単独でMBPに取り組んでいた。だからこそ、相互的関与・共同企図の交渉・共有されたレパートリーという実践共同体の3次元は、同僚ではなく生徒との関わりに依存せざるをえなかった。

まとめ

  • 複数のモデルを使い分ける「複数モデル型MBP」を扱った、体育領域で最初の実証研究である。
  • 研究対象は教職経験11年・MBP実践経験15ユニット以上の熟練教師(=第一著者自身)で、587日分の省察日誌が分析された。
  • 最大の障壁はモデルの知識でも計画でもなく、教師自身が前に出ることを減らせないという点にあった。
  • 転機は、授業の期待事項を生徒と共有し、目標到達の道筋は一つではないと受け入れたときに訪れた。
  • 「本物の指導」を「本物の学習」に置き換えたとき、教師は自分の声を静めることができた。
  • MBPへの移行は個人の努力では完結せず、実践共同体による支えを必要とする

専門家コメント

前回紹介したLuguettiらのスポーツ教育シーズンの研究で、私は「教師が指導性を放棄している」と何度も書き込んだ。今回のCaseyとMacPhailの論文には、まったく逆の書き込みが増えた。この論文の教師は、指導性を手放せないことに11か月間苦しみ続けている。そしてその苦しみが、隠されずに残っている。

まず理論枠組みについて。学習軌跡(learning trajectories)の3要素——「目標」「発達的順序」「適合する活動」——に、私は大きく「大事」と書いた。正統的周辺参加は、学習の位置の変化を語る言葉としては強力だが、非線形で、教師が明日の授業をどう組み立てるかという問いには答えてくれない。そこに「発達的順序」という線形の補助線を引き、段階から段階への移行を促す「適合する活動」を特定するという発想は、私がいつも取っている立場を補完してくれるものだった。理念の記述と授業設計の記述のあいだにある溝を、この枠組みは埋めようとしている。

Fullanの一節——「効果的な変革プロセスは、参加者の能力と主体性を築きながら、優れたアイデアを形成し、再形成する」——にも赤線を引いた。アイデアと、能力/主体性を分けて見るという発想は、私自身の現在の課題意識にそのまま通じる。新しい指導モデルが現場に定着しない理由を、教師の力量不足に帰す議論は多い。だがFullanの言い方に従えば、変革とはアイデアの側も作り替えられていく過程である。教師が「うまくできない」のではなく、アイデアの側がその教師の文脈に合わせて再形成されていない可能性を、まず疑うべきなのだ。この視点は、MBPに限らず、いま日本の体育で言われている多くのことにそのまま当てはまる。

結果の記述で私が最も長く立ち止まったのは、1月30日と3月6日の日誌である。「私は介入するのが早すぎた上、その介入の仕方も直接的すぎた」。そして「私は彼らの成功に対して自ら壁をつくり、彼らが私の支援を必要とするよう仕向け、少し窒息させてしまった」。

ここで私が書き込んだのは、この論文の核心に対する疑問である。「教育とは、本質的には制限だからなのか? 自己矛盾ではないか」。

教えるという行為は、本来的に選択肢を絞る営みである。何を教材とし、どの順に配置し、どこで介入するかを決めること自体が、学習者の可能性の一部を閉じることだ。にもかかわらず私たちは、その同じ営みによって学習者の自律を育てようとしている。この教師の「自ら壁をつくった」という自己批判は、彼個人の失敗というより、教育という行為そのものが抱える構造的な矛盾が、たまたま一人の誠実な教師の日誌の上に露出したものではないか。彼は自分の性格を責めているが、責められるべきは性格ではない。

そう考えると、この論文の記述で最も重要なのは、実は劇的な「同乗者」の一節ではなく、その手前の地味な一文だと私は思う。「余地(余白)をより多く設けるという意識的な決断をした」——ここに私は「余白を残すことの重要性」と書いた。制限が教育の本質であるなら、教師の仕事は制限をなくすことではありえない。制限をどこに置き、どこに置かないかを設計することである。「手を離す」ではなく「どこを空けておくか」。この違いは決定的だ。

そして「各グループはそれぞれ異なる方法で授業に臨んだが、どれも間違ってはいない」——ここには「余白に対するアプローチはそれぞれ」と書いた。教師が余白を用意しても、そこで何が起きるかは統制できないし、統制しようとした瞬間に余白ではなくなる。教師が耐えるべきなのは、生徒が関与しないことではなく、生徒が自分の予期しない仕方で関与することのほうだ。

もっとも、私はこの論文に全面的に賛成しているわけではない。「私は依然として案内役として振る舞う必要があると思う。権威の座を手放したいが、彼らは自由落下する準備がまだできていない」——この一節に、私は「教師の指導も必要」と書いた。論文全体のトーンは、教師の関与の縮小を一貫して「進歩」として描いている。学習軌跡の「発達的順序」において、より複雑な段階=より教師が引く段階、という図式になっている。だが本当にそうか。教師の関与の量ではなく、質と位置が問われているはずである。「介入が早すぎ、直接的すぎた」の対義語は「介入しない」ではなく、「適切な時機に、適切な仕方で介入する」であるはずだ。この論文は、後者を記述する言葉をまだ十分に持っていない。だから教師の変化が、量的な後退としてしか描けていない。

もう一点。期待事項を生徒と共有し始めたことが転機になったという知見には、「価値の共有は大事」と書いた。ここは素直に納得した。教師が黙るだけでは、生徒には何も伝わらない。何を目指しているのか、なぜこの形なのかを言葉にして共有しない限り、教師の沈黙はただの放置になる。前回の論文で私が「指導性の放棄」と書いた場面と、この論文の転機を分けているのは、まさにこの一点である。委ねる前に、何のために委ねるのかを共有したかどうか。

最後に、教師が7月に書いた一文——「生徒たちを個人として知ることができた。この過程全体の、なんと予期せぬ、そして嬉しい副産物だろう」。ここには「たしかに、任せて意外な一面がみえてきたりすることがある」と書いた。これは理論ではなく、実感としてよく分かる。教師が前に出ているあいだ、教師に見えているのは生徒の「教師に向けた顔」だけである。引いたときに初めて、生徒同士に向けられた顔が見えてくる。教師が引くことの最大の利得は、生徒の自律ではなく、教師の観察の質が変わることかもしれない。この論文はそれを「副産物」と呼んでいるが、私はむしろ主産物ではないかと思っている。

そして「学び方は継承される」。これは結果の第1テーマ——教師と生徒の事前学習——に対して書いたメモである。この研究がうまくいった最大の理由は、モデルの選択でも省察の量でもなく、教師と生徒が以前から関係を築いており、生徒がすでに「協同学習の言語」に流暢だったことだと私は読む。逆に言えば、単発の授業研究で新しいモデルを持ち込んでも、この前提条件は存在しない。モデルは輸入できるが、学び方は輸入できない。それは年単位で継承されるものだ。この論文がMBPを「実践共同体に支えられる必要がある」と結論づけたのは正しいが、その共同体には教師集団だけでなく、学校のなかで学び方が受け継がれていく生徒集団も含まれている。そこまで踏み込んで書いてほしかった、というのが私の物足りなさである。


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