本記事では、Ashley Casey(ラフバラ大学)とLars Bjørke(インランド・ノルウェー応用科学大学)による「Teachers’ experiences of enacting pedagogical models and models-based practice: a systematic mixed study review」(Physical Education and Sport Pedagogy誌、2024年)を紹介します。2010年から2022年までに発表された91編の実証研究を統合し、教育モデル(pedagogical models)を実際に使った教師が何を経験したのかを描き出した、大規模なレビューです。
研究の背景・目的
体育科教育研究では、身体的領域のみを重視する教師主導型の指導から、複数の領域にわたる学習を支える生徒中心のアプローチへ移行すべきだという主張が有力になってきました。その具体的な形として台頭したのが、モデルに基づく実践(models-based practice: MbP)です。Casey(2014)自身が「体育における従来の教師主導型実践に取って代わる『ブックメーカーのお気に入り』であるように見える」と述べたほどです。
一方で、批判も残っています。MbPは複雑すぎて、理想的な条件下の最も熟練した教師にしか使えないのではないか(Launder 2001)。体育の未来像として位置づけるにはまだ知見が足りないのではないか(Landi et al. 2016)。
とりわけ本レビューが重く受け止めているのが、Fjellner, Varea & Barker(2024)による指摘です。彼らは48編の論文を分析し、教育モデル研究において教師がしばしば、(a) 自らの文脈を考慮せずに規範的にモデルを適用することを期待される「技術者」、あるいは (b) 研究者があらかじめ決めた教育法を無批判に再現する存在として描かれていると論じました。こうした位置づけは、教師の専門的な主体性や知識を損なうだけでなく、実践における革新や適応を阻害しかねません。
そこで本レビューは、教師自身の経験を前面に置き、「教育モデルおよび/またはMbPを実践する際、教師はどのような経験を報告しているか」という問いに答えることを目的としています。
方法
系統的混合研究レビュー(Pluye & Hong 2014)の7つの手順に沿って進められました。SportDiscus、ERIC、Web of Science、Scopusの4つのデータベースから3,127件を取り込み、重複削除・タイトル抄録スクリーニング・全文評価を経て87編を選定、さらに引用文献からのスノーボール法で4編を追加し、最終的に91編が対象となりました。質の評価にはMMAT(Mixed Methods Appraisal Tool)が用いられています。
対象は現職教員に限定されており、教育実習生や指導教員が関与する研究は除外されました。Fjellnerらの批判を踏まえ、現場で日々教えている教師の見解を理解することに焦点を絞ったためです。
91編の内訳は、地理的にはスペイン28編、英国24編、米国22編が中心。手法は質的研究70編、量的7編、混合14編。扱われたモデルは、ゲーム中心のアプローチ27編、協同学習23編、スポーツ教育22編、個人的・社会的責任の指導18編などでした。参加者は教員2,943名、生徒7,340名、251校に及びます。
分析はThomas & Harden(2008)の2段階統合(記述的テーマ→分析的テーマ)に従い、NVivoとMiroを用いて2人の著者が反復的に行いました。
結果:5つのテーマ
1. 教育モデルを通じた民主的な教室の構築(41編)
教師たちは、あらゆる能力の生徒に機会をつくること、教室と指導の組織化、自律性と自立性の向上を、教室での意思決定における「活発な」児童や教師自身による支配を終わらせる手段として位置づけていました。
主要な戦略として最も多く挙げられたのが質問です(29編)。行動計画の共同作成を促すために掘り下げた質問を用いる、何を学んでいるか・何を学びたいかを生徒に言語化させる、といった実践が報告されました。ただし課題もあり、提示した質問に全生徒を巻き込むことの難しさが指摘されています。
また37編で、自らの役割を「知識の伝達者」から「ファシリテーター」へ変えることの重要性が語られました。他方で、自分ひとりでは大きな変化をもたらす権限がなく、他者に頼らざるを得ないと制約を感じる教師もいました。
2. 専門的成長のための教育モデルの実践(71編)
教育モデルを実践した経験が、教育者としての自らの成長に良い影響を与えたと報告されています。34編では、教師として成長し「教育的熟達度(pedagogical fluency)」が高まったとされ、その最も頻繁な現れは、教師が独自の適応を行い始め、モデルの活用においてより柔軟になったことでした。
もっとも、そこに至る道は平坦ではありません。31編で導入時の労苦が語られ、初めて実践する際の困難、メンタリングや専門能力開発の重要性、新しい知識やリソースの必要性が挙げられました。授業の共有や授業計画の共有が、自信の低さを克服する助けになったという報告もあります。省察は44編で言及され、モデルの導入が教師にこれまでの教育哲学を問い直させていました。
3. 身体的領域内および領域外における生徒の学習の強化(71編)
ここが本レビューで最も印象的な結果です。教師が言及した生徒の学習は、社会的学習が57編で最多、次いで情意的学習39編、認知的学習32編、そして身体的学習は「わずか」26編にとどまりました。
社会的領域では、他者から学ぶこと、アイデアについて交渉し議論すること、責任を引き受け負うことという3つの相互に関連した行動が共通して見られました。情意的領域では授業の雰囲気の改善、仲間への連帯感・包摂性・責任感、「関与」「習得」「成功体験」「自信」「楽しさ」といった肯定的な感情が報告されています。認知的領域では、ルールや戦術の理解の向上(22編)、創造的な問題解決の機会(15編)が挙げられました。
身体的学習については教師の認識が分かれています。改変されたゲームへの参加だけで向上が見られたとする教師がいる一方、ゲームに参加する前に基本的な技能を教えることが不可欠だと考える教師もいました。
また31編で個別化が論じられ、生徒により多くの選択肢や異なる役割を与えることが、個々の生徒やグループの状況に気づく機会になったと報告されています。
4. 教育モデルを通じたカリキュラムの整合(72編)
教師たちは、教育モデルが地域・国のカリキュラムにどう関連するか、どのように文脈化される必要があるかを語りました。多くの教師がモデルを関連性のあるものとして経験した一方で、生徒にとって無関係でありうる、問題行動を引き起こす、学校の現実の中で機能させようとすると困難が生じる、といった反証も存在しました。
文脈化について論じた36編では、教師が生徒のニーズや行動に対して柔軟な姿勢を保ち、時間の経過とともに実施方法を変更・発展させていた様子が示されています。ただしそれは「勝手に起きたこと」ではなく、多くの場合、同僚の支援と実践的な学習体験を必要としていました。文脈に即して適用できるようになるには時間がかかる、と繰り返し語られています。
忠実性(fidelity)を論じた19編のうち8編は、必ずしも教科書通りではない形でモデルを実践した事例を報告しました。支援や説明責任が忠実度を高め、その欠如が忠実度の経験を低下させたことも示されています。
5. 教育モデルを通じた体育の現状への挑戦(75編)
教師たちは、モデルの活用によって体育における指導と学習の現状に異議を唱えることができたと報告しました。モデルは彼らに生徒に対する見方を変えさせ、変化の必要性を認識する助けとなっています。大学所属のメンターからの支援や、同僚との相互支援が成長に役立ったという報告も複数ありました。
重要なのは、多くの教師が成長を「浮き沈みの連続するプロセス」として語っている点です。生徒からの抵抗、従来の役割や慣行から脱却する難しさ、機材や学校の伝統といった文脈的な障壁が挑戦を妨げる一方、いくつかの小さな成功体験や肯定的な確認を得ることが、継続的な活用と変革への意欲を維持する上で重要だと報告されました。
考察と結論
著者らは、民主主義はモデル導入の「自然な」結果ではなく、実践されなければならないものだと述べます。反復的かつ現場に即した活用を通じて時間をかけて発展し、それは教師の教育的成長と並行して起こっていました。教育的流暢さ、すなわちモデルを活用する際に適応を図りより柔軟になる能力を養うには、体育教育におけるシステム全体にわたるアプローチが必要です。教師が地域レベルで専門能力開発に取り組み、リソースを獲得し、同僚と議論すること。そして教育者・政策立案者・研究者による体系的な取り組みが求められます。
教師が身体的領域を超えて社会的・情意的・認知的領域へ学習を広げられたという結果は、「モデルを運用できるのは試験運用者だけである」というLaunder(2001)の懸念に対する反証となっています。
結論部で著者らはFjellnerらの主張に立ち返り、本レビューが、教師をモデルの省察的な利用者かつ適応者として——すなわちモデルをめぐる知識や学術的思考に影響を与えうる存在として——位置づけたことの意義を強調します。そして、教師を教育開発の有能な中核に据える今後の研究を奨励して締めくくられています。
なお本論文は、Casey(2014)が用いた「Great White Hope」というタイトルの人種差別的な由来について、冒頭で著者自身が謝罪と説明を行っている点でも異例です。
専門家コメント
本レビューを読み進めながら繰り返し考えていたのは、教育モデルというものが、収束性と拡散性の間にあるということだった。冒頭で紹介されているFjellnerらの批判——教師が「技術者」として、あるいは決められた教育法の無批判な再現者として描かれてきたという指摘——は、この緊張を言い当てている。モデルには型がある。型があるからこそ他者と共有でき、実践を語る言葉が生まれる。だが型どおりに再現させようとした瞬間に、教師は判断の主体ではなくなる。この二つの引力のあいだのどこに立つのかが、モデル研究の要諦なのだと思う。
その意味で示唆的だったのが、教育的熟達度の最も頻繁な現れが「教師が独自の適応を行い始め、より柔軟になったこと」だったという結果である。教師の成長は、モデルの忠実な再現から、モデルの柔軟な適応へと移行していく。つまり熟達とは、型を守れるようになることではなく、型を手放せるようになることなのだ。ならば研修の目標も、正しく実施できることではなく、自分の文脈に合わせて作り替えられるようになることに置かれるべきだろう。
やはり、と思ったのは、教育モデルが境界オブジェクトとして機能しているという点である。同じ「協同学習」「スポーツ教育」という語を共有しながら、研究者は理論的整合性の観点から、教師は目の前の子どもと学校の制約の観点からそれを扱う。それぞれの側で意味が異なるにもかかわらず、共通の参照点として成立している。だからこそ、教育モデルの実施が共通の関心事となった際に教員を団結させる手段になった、という記述が生まれるのだろう。そして境界オブジェクトである以上、「モデルにどこまでこだわるか」という問いに唯一の正解はない。忠実性を論じた19編のうち8編が教科書通りではない実践を報告していたことは、その現れだと読める。
実務的にもっとも重く受け止めたのは、文脈に即した適用には時間がかかるという繰り返しの指摘である。教師たちはこのプロセスを「新たな業務に取り組むこと」に例え、地域や国の文脈に適合させるための指針はほとんど存在しなかったと語っている。日本でも同じで、海外で開発されたモデルを日本の学習指導要領や単元時数のなかで機能させるには、翻訳ではなく作り替えが要る。そしてその作業は、教師が一人で背負えるものではない。研修やコミュニティの支援、そして研究者との協働が必要である。本レビューが繰り返し同僚の支援と外部からの支援の両方を挙げているのは、そのためだろう。
結果の中で最も目を引いたのは、教師が報告した生徒の学習が社会的57編、情意的39編、認知的32編に対し、身体的が26編にとどまったという分布である。これは他の報告とも一致する。ただし、社会的学習として挙げられた項目——他者から学ぶこと、アイデアを交渉し議論すること、責任を引き受けること——を見ると、ある種、社会領域の定義がそのまま並べられているようにも感じた。素朴な疑問として、社会的学習と情意的学習の差はどこにあるのだろうか。仲間への連帯感や包摂性は、どちらにも置けてしまう。レビューという性格上、原論文の記述に従って分類せざるを得なかったのだと思うが、この2領域の境界をどう引くかは、今後この分野で扱うべき論点だと感じた。
同じことは「新しい学習者としての役割」という表現にも言える。生徒が新しい役割を身につけるよう支援することの重要性は繰り返し語られているが、その概念定義がどうなっているのかは判然としない。コーチ、審判、記録係といった具体的な役割を指すのか、それとも学習に対する構えの変化を指すのか。ここが曖昧なままだと、実践の記述はできても比較や蓄積が難しくなる。
そして、教師の成長が「浮き沈みの連続するプロセス」として語られ、生徒の役割の変化に対する教師の違和感が報告されていた点は、私の関心にまっすぐ届いた。困難は導入の入口にあるのではなく、過程のなかで生じる。生徒に任せてみたものの、これでよいのか確信が持てない。そういう局面で教師を支えるものは何か。本レビューは、小さな成功体験と肯定的な確認、そして協力と支援がその原動力になると述べている。この記述は、私がいま書き進めている論考でもそのまま使える知見である。モデルは一度試して終わりではなく、繰り返し使用するに至る——その反復のなかでこそ、教師の実践も信念も組み替えられていく。
元論文情報
- タイトル: Teachers’ experiences of enacting pedagogical models and models-based practice: a systematic mixed study review
- 著者: Ashley Casey, Lars Bjørke
- 掲載誌: Physical Education and Sport Pedagogy(オンライン先行公開)
- 発行年: 2024
- DOI: 10.1080/17408989.2024.2415325
- URL: https://doi.org/10.1080/17408989.2024.2415325


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