不全感が、寛容さに変わるとき|Emotions in leaders’ enactment of professional agency

2015年〜2019年

本記事では、Päivi Hökkä、Katja Vähäsantanen、Susanna Paloniemi、Sanna Herranen、Anneli Eteläpeltoによる「Emotions in leaders’ enactment of professional agency」(Journal of Workplace Learning誌、2019年)を紹介します。行為主体性(agency)はこれまで目標志向的で合理的な活動として概念化されてきましたが、実際には情動と分かちがたく結びついている——そこから著者らは「情動的行為主体性(emotional agency)」という概念を提案します。以前に紹介したHökkä et al.(2020)のレビューと同じ研究グループによる、その実証編にあたる論文です。

なお本研究の対象は中間管理職のリーダーであり、教師ではありません。ただし著者グループはEteläpelto et al.(2013)と同じであり、行為主体性の理解(主体中心的な社会文化的アプローチ)は共通しています。

研究の背景・目的

職場はかつて、理想としては情動を欠いた場であり、従業員に、とりわけリーダーに情動的に中立な遂行を求めるものと見なされていました。組織における人間の行動は合理的な規則に従い、認知過程に基づく計画と計算によって導かれる、という想定です。しかし近年の研究は、情動が職場・組織行動・リーダーシップにおいてきわめて強力な力であることを示してきました。

他方で、専門職としての行為主体性は主として目標志向的で合理的な活動として概念化されてきたため、その発揮において情動が果たす役割に焦点があてられてこなかったと著者らは指摘します。本研究は、情動の性質と質、そしてそれらが専門職としての行為主体性の発揮とどう結びつくのかを精緻化することを目的としています。

本研究における専門職としての行為主体性は、主体中心的な社会文化的アプローチ(SCSC)に基づき、次の3つの側面によって操作的に定義されました。

  1. アイデンティティ行為主体性:自らの中核的なコミットメント、価値、倫理的基準、コンピテンシーをいかに現実化し作り直すか
  2. 関係の行為主体性:職員の仕事、相互作用、学びをいかに導き支えるか
  3. 組織に対する行為主体性:上位の経営層から来る管理上の事柄や戦略的な指示に直面したとき、いかに行為するか

方法

対象は、フィンランドの公共部門2組織——病院(病棟師長)と大学(学科長・教育担当リーダー)——で中間管理職として働くリーダー11名(女性8名、男性3名、平均年齢48歳)。いずれも急速かつ大規模な組織再編が進行中の職場でした。

文脈となったのは、2012〜2013年に実施された1年間のリーダーシップ・コーチング・プログラムです。12回のワークショップ(各6〜8時間、計72時間)からなり、描画、討議、ドラマ的手法、ソシオメトリーなど参加型かつ芸術に基づく方法が用いられました。たとえば「専門職としての身体(professional body)」法では、実物大の身体の輪郭を描いた紙の上に、写真・絵・布などを用いて自らの職業的生活史、理想、コミットメント、倫理的原則、将来の期待を視覚化し、ワークショップでドラマ的手法を使って共同で練り上げていきます。

データはプログラム前後の半構造化面接(計22件、24時間分、逐語記録378頁)です。分析は質的内容分析と研究者トライアンギュレーションにより、3名の研究者間でコーダー間一致が100パーセントであったカテゴリーのみが用いられました。

興味深いことに、著者らはプログラム実施とデータ収集の時点では、リーダーの仕事の情動的側面に特に関心があったわけではないと述べています。初期の分析を行ってはじめて、情動と行為主体性の関係に焦点をあてる必要に気づいたのです。

結果

分析の第一段階を終えたとき、著者らは面接における情動表出の強度と数に驚かされたといいます。面接は、リーダーの仕事に結びついた情動の表出で満ちていました。

プログラム開始前

アイデンティティ行為主体性には肯定的情動が豊富に現れました。喜び(16回/8名)、有意味性(10回/6名)。喜びの源としてしばしば挙げられたのは仕事の自律性であり、自らの専門性と経験を共有された取り組みのために用いることができるという感覚が、強い喜びを生み出していました。

しかし喜びとちょうど同じだけ、不全感(inadequacy)も表出されました(16回/7名)。これは、自らのコミットメントや倫理的原則に沿って仕事ができないという事実と強く結びついていました。「不全感、絶え間ない不全感の感じ。もっとずっとうまくやりたいのに、ただ時間がない、力が残っていない、どうにもできない……」(リーダー5)。

関係の行為主体性は、対照的に主として否定的情動を映していました。不全感(14回/9名)、苦痛(9回/6名)。職員が不満をリーダーに投げ込むものと知覚され、「職場共同体の痰壺あるいはゴミ箱として使われている」という感じが語られています。もっとも、職員とともに集合的に働き前進できた状況では喜び(7回/5名)も報告されました。

組織に対する行為主体性に結びついた情動表出は、すべて純粋に否定的でした。肯定的情動の表出はまったく現れません。いらだち(15回/8名)、不全感(13回/6名)、疲弊(7回/4名)。とりわけ、資源が減少するなかで効率と生産性を上げよという圧力、多重の査定と外部評価、管理上の報告書の作成が消耗させるものとして語られました。「この種の無意味な、無意味な官僚制が力を吸い取っていくんです」(リーダー4)。

プログラム終了後

もっとも明白な違いは、不全感から、勇気・自信・強さの表出への移行でした。とりわけ「自分に対する寛容さ(leniency towards oneself)」が強く現れています。

アイデンティティ行為主体性に結びついた表出は、厳密に肯定的なもののみとなりました。寛容さ(34回/9名)、自信(28回/9名)、勇気(17回/8名)。寛容さは、自らの限界と不完全さを理解し受け入れ、それに応じて行為する道筋を知覚することと結びついていました。「私はリーダーだけれども、同時に人間でもある。……だから自分が完璧であるとか、失敗しないとかは考えていません」(リーダー1)。

関係の行為主体性では、リーダーが自らの個人的な情動的経験に囚われることが少なくなりました。語りは分析的かつ省察的になり、職場において情動を論じ処理することの重要性についてより明確な像をもつようになっています。自信(19回/8名)、寛容さ(18回/6名)。他者からの批判が、個人としてのリーダーにではなく主としてリーダーという役割に向けられているという捉え方が強まり、「ゴミ箱」であるという感じが減じたと述べられています。また、仕事に限界を設けるという意味での行為主体性も語られました。

組織に対する行為主体性は、事前面接からの変化を示しませんでした。肯定的な表出はほとんどなく、経済的な緊縮の文脈において上位の経営層からの指示に抗いえないことに結びついた疲弊(13回/6名)が残り続けています。

考察:情動的行為主体性へ

結果は、リーダーが自らの仕事に影響を及ぼし専門職としての行為主体性を実践できたとき喜びのような肯定的情動が立ち現れ、弱い行為主体性は不全感や疲弊のような否定的情動と結びついていることを示しました。

そこから著者らは、専門職としての行為主体性を、情動を行為主体的な実践のうちに埋め込まれ絡み合ったものとして捉え直すべきだと提案します。そして情動的行為主体性(emotional agency)という語を導入します。これは、個人的な情動と外部から設定された期待・役割とのあいだの気づき、理解、そして均衡の発見を指し、それに応じて日常の仕事の実践において行為することを指します。

重要なのは、これが情動労働とは異なるという点です。情動的行為主体性は、期待された規範や戦略的目標に従って情動を演じたり管理したりすることを意味しません。社会的に受け入れられる仕方で情動を調整したり偽装したりすること(Hochschild 1983)にとどまるものでもありません。そうではなく、真正な情動——自らのもの、および他者のもの——を理解し、尊重し、意思決定において活用することを意味します。

著者らは情動的行為主体性を、次の5つの要素からなるものとして提案しています。

  1. 職場において情動(自らのもの、および他者のもの)がもつ重要性と力を理解すること
  2. 自分には影響を及ぼしえない情動的に困難な事柄が存在すると受け入れること
  3. 自分と他者に対する寛容さ——不完全さを理解し、それを不可避のものとして受け入れること
  4. 自分自身に、仕事に、そして可能なかぎり管理部門に対して、限界を設けること
  5. 同僚と従業員のあいだに喜び、熱意、希望を支えること

不完全さを受け入れ、ある程度の寛容さを与えるという観念は、失敗がありうる実験を許すことにつながり、それゆえ学びと革新を高めうると著者らは述べます。

現場への示唆

本研究のもっとも実践的な知見は、介入の水準と、変化しうる領域とが対応しているという点でしょう。個人のアイデンティティと職場共同体の関係に焦点をあてたコーチングは、その2領域では明確な変化をもたらしましたが、上位の意思決定に対する関係——組織に対する行為主体性——はまったく動きませんでした。

これは日本の学校にもそのまま当てはまります。校内研修や授業研究によって教師個人の省察や同僚性は変わりうるとしても、教育委員会や制度からの要求との関係は、その水準の介入では動かない。組織的・構造的な変化を達成するには、より広い組織水準の介入が必要になります。研修の効果を測るときに、何が変わりうる領域で、何がそうでないのかを見誤らないことが大切です。

まとめ

本研究は、行為主体性を合理的な活動としてのみ捉える見方を退け、情動をその実践に埋め込まれたものとして捉え直すことを提案しました。行為主体性が発揮できているときには喜びが、弱いときには不全感と疲弊が現れる——この対応関係は、教師の職能発達を考えるうえでも示唆に富んでいます。


専門家コメント

本稿の対象は中間管理職のリーダーであり、体育教師ではない。それでも、自分がいま進めている研究の考察と直接に響き合う点が三つある。

第一に、行為主体性の強弱と情動の質とが対応しているという結果である。行為主体性を発揮できているときには喜びが、行為主体性が弱いときには不全感と疲弊が現れる。私が追ってきた体育教師の越境過程でも、これと同型のことが起きていた。葛藤期において意思決定の所在が研究者側に偏ったとき、教師は「手応えの低下」と「見通しの持てない手探り感」を語った。そして創出期に入り行為主体性が立ち上がったのちに、満足感が語られるようになった。情動の語りは、その人がいまどれだけ事態に影響を及ぼせていると感じているかの指標として読める。

第二に、情動を行為主体性の付随物ではなく、その実践に埋め込まれたものとして捉え直すべきだという理論的主張である。行為主体性はこれまで目標志向的で合理的な活動として概念化されてきた、という著者らの指摘は重い。この指摘は、私が情動を独立した分析概念として立てず、越境過程の記述のなかに置いたことの根拠としてそのまま使える。教師が何を感じたかを別枠で集計するのではなく、何を為しえたかの記述のなかに情動が現れてくる——その書き方のほうが、実態に近いのだと思う。

第三に、組織に対する行為主体性だけが変化しなかったという結果である。個人のアイデンティティと職場共同体の関係に焦点をあてた介入は、その二領域では変化をもたらしたが、上位の意思決定に対する関係は動かなかった。介入の水準と、変化しうる領域の限界とが対応しているというこの知見は、私自身の研究の限界——学校組織と研究者側の共同体に何が生じたのかは扱えていない——を述べる際の足場になる。教師個人と授業レベルの変容を描いたからといって、組織が動いたことにはならない。そこを混同しない書き方をしたい。

加えて、情動的行為主体性の5要素のうち「不完全さを理解し、それを不可避のものとして受け入れること」が、失敗がありうる実験を許すことにつながるという指摘は、教師の学びを考えるうえで重要だと感じた。以前紹介したレビューでも書いたとおり、教師は職務の性質上、失敗する可能性を選びにくい立場にある。だとすれば、新しい実践に踏み出すために必要なのは、方法の情報でも意欲でもなく、うまくいかなくてもよいと自分に許せる状態のほうなのかもしれない。研修の設計に、この「寛容さ」を組み込む余地があるはずである。


元論文情報

  • タイトル: Emotions in leaders’ enactment of professional agency
  • 著者: Päivi Hökkä, Katja Vähäsantanen, Susanna Paloniemi, Sanna Herranen, Anneli Eteläpelto
  • 掲載誌: Journal of Workplace Learning, 31(2), 143–165
  • 発行年: 2019
  • DOI: 10.1108/JWL-07-2018-0086
  • URL: https://doi.org/10.1108/JWL-07-2018-0086

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