本記事では、Sanne F. AkkermanとArthur Bakkerによる「Learning at the boundary: An introduction」(International Journal of Educational Research誌、2011年)を紹介します。越境をテーマにした特集号の巻頭論文で、境界に関する用語の整理と、収録論文の位置づけを示したものです。
研究の背景・目的
これまでの教育研究の多くは、特定の領域の内部での学習を対象としてきました。しかし人は、学校・職場・家庭といった制度化された実践のあいだを行き来し、異なる職業・学問分野・文化を持つ人々と関わっています。
境界は「行動や相互作用における不連続性をもたらす社会文化的差異」と定義されます。そして重要なのは、そうした境界が必ずしも連続性の障壁ではないという点です。いくつかの学習理論では、境界は学習のための資源であると主張されてきました。境界は人々に自らの前提を再考させ、既知や慣れ親しんだものの先を見据えるよう促す。それによって硬直やルーチン化を回避できる、という論旨です。
とはいえ著者らは、こうした主張は多く見られるものの、どのような学習が、どのように形成されるかについてはほとんど知られていないと指摘します。本論文は、その問いに向けた特集号全体の見取り図を提示することを目的としています。
境界に関する用語の整理
社会科学における境界への関心は、「境界オブジェクト」「境界越え」「境界実践」「境界地帯」「仲介者」「境界相互作用」といった用語の増加に表れています。実証研究から読み取れるのは、進行中の活動には常に何らかの形の不連続性が存在し、それは多くの場合、文化的・歴史的背景に根ざした差異に起因しているということです。
「境界を越える」とは、「異なる文脈からの要素を交渉・統合し、ハイブリッドな状況を実現する」プロセス(Engeström et al., 1995)を指します。用語が多数存在するのは、これがさまざまな形で起こりうることの反映です。境界を越える主体は3種類に整理されます。
- 人が越える:ブローカー、境界越え者。複数のコミュニティに同時に所属するか、ある場から別の場へ移行する人
- 物が越える:境界オブジェクト(Star, 1989)
- 相互作用が越える:境界相互作用、境界実践(Wenger, 2000)。とくに「境界実践」は、二つの現場間の相互作用から生じる、より持続的な形態の協働を指します
教育実習生リンダの語り
本論文で印象的なのは、Alsup(2006)から引かれた教育実習生の語りです。彼女は、指導教員・監督教員・生徒それぞれの期待をすべて両立させなければならず、「指導教員と監督教員の考え方があまりにも異なるため、それは大きなストレスとなっている」と述べています。
生徒を移動させるかどうかをめぐって上司とメンターの判断が食い違った場面では、結局メンターの意向に従います。その理由を「そこは彼女の教室だから」と語りつつ、長年の経験に基づくメンターの判断を評価し、同時に大学の指導員は「より哲学的な観点から物事を見ている」とも述べます。異なる実践のあいだに立たされた人が、その差異をどう経験するかが生々しく示された事例です。
境界における4つの学習類型
著者らは、同時期に発表したレビュー論文(Akkerman & Bakker, 2011, RER)で見出した4類型を、ここでも簡潔に提示しています。
- 同一化:交差する実践が互いを踏まえて(再)定義される
- 調整:移行を円滑にするため、実践間に最小限の定型化された交流が確立される
- 省察:他方の実践の視点を採ることで、自分の実践を異なる視点から見る
- 変容:実践そのものが変化し、新たな「中間的」実践が生まれることもある
あわせてWenger(2000)の一節が引かれています。「未知のもの、すなわち『他者性』という謎とのこうした至近距離での出会いには、どこか不安を覚え、時には謙虚な気持ちにさせられる一方で、刺激的で魅力的な側面がある。それは、自分の能力の限界を探り、まったく新しいことを学び、自分なりの小さな真実を見直し、そしておそらくは視野を広げる機会なのである」。
収録論文と学習類型の対応
特集号の各論文が、どの学習類型を扱っているかが整理されています。教員養成に関わるものを中心に挙げます。
- Beauchamp & Thomas:教育実習生が異なるコミュニティでの自分の役割を学び、アイデンティティの変容に至る過程。同一化が省察の基盤を形成する
- Ward, Nolen & Horn:教員養成プログラムの世界(TEPworld)と、教師や学校の世界、その境界にあるハイブリッドな空間「Fieldworld」を区別。特定の条件下で「生産的な摩擦」が生じうる。ただし学生の学習は主に同一化と省察にとどまる
- Akkerman:組織間プロジェクトの分析。異なる実践を持つ人々が協働する状況では、「境界における学習」が安易に想定されがちだと警告する
- Edwards:専門職間協働の特徴を、4類型に対応づけて整理。同一化が調整を可能にし、場合によっては変容も生み出す
- Kerosuo & Toiviainen:境界相互作用と適切なアーティファクトを通じて省察を促し、それが変容の基盤を形成する
現場への示唆
教育実習をめぐる困難は、しばしば実習生個人の資質の問題として語られがちです。しかし本論文が示すのは、それが異なる実践のあいだに立つことによる構造的な現象だということです。
大学の指導教員と実習校の指導教員では、判断の拠り所が異なります。その差異を実習生一人に引き受けさせるのではなく、境界そのものを議論の対象にすることが、生産的な学びにつながる可能性があります。
まとめ
本論文は独立した実証研究ではなく、特集号の序論です。しかし越境研究の用語と枠組みが短くまとまっており、この領域の入口として読みやすい構成になっています。より詳しい議論を求める場合は、同年のReview of Educational Research誌のレビュー論文へ進むとよいでしょう。
専門家コメント
この論文は、5ページという短さのなかに越境研究の枠組みが凝縮されている。同一化・調整・省察・変容という4類型が最初に提示されるのがここなので、まずこの整理を確認し、そのうえでRER誌の詳細なレビューに進むという順序が読みやすいと思う。
境界を越える主体が、人・物・相互作用の3つに整理されている点は、実際に連携を設計するときの見取り図になる。人を動かすのか(教員を派遣する、実習生を送る)、物を動かすのか(指導案の様式、評価票、記録を共有する)、相互作用そのものを設計するのか(合同研修会、検討会を継続的に開く)。どれを選ぶかで、生まれる学習の質は変わってくるはずだ。とくに「境界実践」が、二つの現場の相互作用から生じるより持続的な協働を指すとされている点は、単発のイベントで終わらせないための概念として使える。
Ward, Nolen & Hornの「Fieldworld」という概念にも惹かれた。大学の世界と学校の世界、その境界にあるハイブリッドな空間。そこで「生産的な摩擦」が生じうるという指摘は、教育実習を捉え直す視点になる。ただし著者らが同時に、教員養成課程の学生による学習の主な形態は同一化と省察にとどまると述べている点は冷静に受け止めるべきだろう。実習生に変容まで求めるのは、そもそも構造的に無理があるのかもしれない。
そして本論文で最も注意を促されたのは、Akkermanによる「『境界における学習』が安易に想定されがちである」という指摘である。異なる実践の人が集まれば自動的に学びが起きるわけではない。彼女の事例では、人々が境界をどう経験しているかを明示しないために、そもそも境界の特定が欠如していた。連携の場を設けただけで満足してしまう危うさは、日本の学校現場にもそのまま当てはまる。
最後に、引用されているWengerの一節が印象に残った。他者性との至近距離での出会いは、不安であり、時に謙虚にさせられるが、同時に刺激的で魅力的でもある。「自分なりの小さな真実を見直し、そしておそらくは視野を広げる機会」。自分の実践に閉じずに、外の世界へ出ていくことの意味を、これほど端的に言い当てた表現はなかなかない。
元論文情報
- タイトル: Learning at the boundary: An introduction
- 著者: Sanne F. Akkerman, Arthur Bakker
- 掲載誌: International Journal of Educational Research, 50(1), 1–5
- 発行年: 2011
- DOI: 10.1016/j.ijer.2011.04.002
- URL: https://doi.org/10.1016/j.ijer.2011.04.002


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