越境する教師の主体性は、5つに分かれた|Between school and working life: Vocational teachers’ agency in boundary-crossing settings

2005年〜2009年

本記事では、フィンランド・ユヴァスキュラ大学のKatja Vähäsantanenらによる「Between school and working life: Vocational teachers’ agency in boundary-crossing settings」(International Journal of Educational Research誌、2009年)を紹介します。学校と職場の境界を行き来する職業教育教員16名へのインタビューから、彼らが発揮する主体性(agency)を5つの形態に類型化した研究です。

研究の背景・目的

フィンランドでは2000年代初頭の改革により、職業教育に最低6か月間の職場学習が組み込まれました。これにより教員の役割も変わり、学校の外で働き、職場の従業員と協力することが求められるようになります。実習先の確保、職場指導者への説明と支援、生徒の職場学習の企画・指導・評価。教員は学校と職場の仲介者という立場に置かれました。

ここで著者らが問題視するのは、既存の越境研究の偏りです。境界を越える行為を扱った研究は主に「学習」に焦点を当ててきました。しかしWenger(1998)が指摘するように、ボーダー・クロッサーの役割は極めて困難で、通常コミュニティの周縁で権力を持たずに活動せざるを得ません。

著者らは、こうした理論化が「能動的な主体としての立場を過小評価し、実践共同体を抑圧的な場として捉える傾向がある」と批判します。そこで本研究は、学習ではなく主体性(agency)に焦点を移し、次の2つを問います。

  • 境界を越える環境で、職業教育教員はどのような形態の主体性を発揮しているか
  • それぞれの形態に関わる主な資源と制約は何か

方法

2006年、同一教育機関に所属する職業教育教員16名(男性10名・女性6名、31〜57歳、教職経験4〜30年)に、自由回答形式のナラティブ・インタビューを実施しました。所要時間は75〜125分です。

インタビューでは、専門的成長とキャリア、専門的アイデンティティと仕事の性質、教育改革、職場コミュニティ、将来への希望という5つの主題が扱われました。

分析では、まず各インタビューを繰り返し読み、境界を越える場面(主に生徒の職場学習に関わる職場訪問)に関する記述を特定します。次に各インタビューを要約し、教師がどのように主体性を発揮したか、資源や制約がそれとどう関連していたかに焦点を当てて再読。最後に、記述間の相違点と類似点を検討して5つのカテゴリーを導きました。

結果・考察のポイント

① 制限された主体性

アーロンの行動を規定していたのは、職場従業員と教師の関係についての認識でした。「教師は職場に入る際、分別ある態度をとらなければならない。ただアドバイスをしたり批判したりするのは全く間違っている。本当に『帽子を手に』職場に行かなければならない」。

目的は対立の回避です。しかしその姿勢は、学校から課された任務の遂行を制約しました。生徒の職場学習について話し合うため4時間待たされ、結局その場を離れざるを得なかったというエピソードが語られています。

② 広範な主体性

ヴィヴィアンは、自身の専門的関心と信念に基づいて活動を自ら決定し、自らを労働界と教育制度をつなぐ架け橋と捉えていました。従業員が教師を見下す態度をとっても、それに縛られません。

生徒がカトラリーに親指を押し付けているのを見て介入した場面が印象的です。指導員が誤った指示をしていたことが判明し、店長と指導員は自分たちの手順に不備があると認めました。教師の介入によって、生徒の能力と職場の実践の両方が改善されたわけです。この行動を支えていたのは、職業分野における彼女自身の優れた能力でした。

③ 多面的なバランス調整者

トーマスは、実社会のニーズと学校のカリキュラムを結びつけようとしました。従業員に「職業教育に何を含めるべきか」を自ら尋ね、生徒の実習先で無給のボランティアとして働きもしました。

「私が数日間そこで働いたという事実が大きく影響している。彼らは、私が彼らの業務をある程度こなせる、ごく普通の人間であることを理解してくれる」。彼は境界を越えた場を活用して教師の従来の役割を拡大し、学校と職場のあいだに新たな実践を生み出しました。職場スタッフを組織して学校で教育業務を行わせる、という実践もその一つです。

ただし本人は、学校と職場の協力が教師個人の関係と熱意に完全に依存していることを認識していました。十分な支援もリソースもなく、私的な自由時間を割かざるを得なかったといいます。

④ 状況に応じて多様な主体性

ヴィルヘルムは、能動的でも受動的でもありました。従業員から対等に扱われるため、専門的スキルを言葉と行動で積極的に示します。「職場では、教師は従業員と同じ言葉を使わなければならない。そうして初めて、従業員は教師を対等な存在として扱ってくれる」。

一方で、職場の慣行を発展させることは自身の義務とは考えず、改善すべきだと感じ、その能力があっても助言はしませんでした。結果として、専門的能力を示していたにもかかわらず、職場に変化をもたらす地位は確立できていませんでした。

⑤ 関係性から生じる主体性

ピーターの行動は、従業員との関係の深まりとともに変化しました。親しくない相手には慎重ですが、親しくなると業務のやり方に踏み込み、疑問を投げかけるようになります。

「まず私は労働者との『つながり』を築く必要があり、教師と労働者の双方が、それぞれの立場を自覚していなければならない」。役割の拡大には信頼関係が前提条件でした。なお、大企業より中小企業のほうが関係を築きやすいことも示唆されています。

5つを分けたもの

主体性の形態は、次の3つと密接に絡み合っていました。

  • 教師自身の専門的自己認識(関心・能力・過去の職務経験)
  • 職場の人々との関係についての認識
  • 学校が定めた専門的任務に対する見解

とりわけ職業分野における優れた専門的能力が、多くの形態で資源として機能していた点が目を引きます。

現場への示唆

著者らは、対立を避けることには両義性があると指摘します。従業員の意見や職場の文化によっては適切な戦略でありうる一方、それは職場の慣行を再構築したり新たな慣行を発展させたりする可能性を奪い、時には学校から課された任務の遂行そのものを妨げました。

また、教師による越境は学校・職場・教師自身の三者すべてに恩恵をもたらしうるとされます。ただしそれは教員個人の多大な貢献に依存しており、学校からのより手厚い支援が必要だと強調されています。

まとめ

越境研究の多くが「学習」を扱ってきたのに対し、本研究は「主体性」に焦点を移しました。同じ境界に立っても、教師によって発揮される主体性は5つに分かれる。その違いが、生産的な仕事、教育の発展、職場の慣行の再構築に対して、それぞれ異なる条件を生み出している——これが本研究の中心的な主張です。


専門家コメント

本論文でまず押さえておきたいのは、主体(agency)の定義である。Ahearn(2001)に依拠した「社会文化的に媒介された行動能力」という規定。単なる自由意志ではなく、社会的状況がもたらす機会と制約の範囲内で行使されるものとして捉えられている。この「媒介された」という限定が、後の5類型の説得力を支えている。

そして、能動的な主体となることが「労働共同体における自身の位置づけに対する主体自身の省察的な自覚に基づく」とされる点。これはメタ認知的な、あるいは俯瞰的に自分を見る能力の問題として読める。自分がいまどの立場に置かれているかを自覚できて初めて、行動の方向を選べるということだろう。

方法論についても学ぶところが多かった。境界を越える場面という特定のトピックに絞り、それ以外は捨てる。視点と問いに焦点化して出来事を解釈し、記述間の差を比較する。かなり精選した形でインタビューを扱っているのが印象的で、質的研究の設計として参考になる。

5類型のうち、制限された主体性のアーロンが語る「教師は謙虚でなければならない」という規範は、日本の学校現場にもそのまま存在する。外部と関わるとき、こちらから何かを言うのは失礼だという感覚。しかしこの論文が示すのは、その姿勢が現状の再生産を促す可能性があるということだ。対立を避けることは戦略として合理的でありうるが、同時に何も変わらない条件をつくってもいる。

対照的なのが、広範な主体性のヴィヴィアンである。彼女の行動は明確に自己決定的で、裁量を自ら握っている。そしてそれを支えていたのが職業分野における能力だった。ここで考えたのは、この能力は教育とは別の力なのだろうか、ということである。体育に置き換えれば、教科指導力とは別に、その運動領域そのものの実践的な力量が問われる場面がある。両者の関係は、もう少し丁寧に考えたい論点だ。

トーマスの事例は、仕事を拡張させるということの具体像を示している。相手のニーズを知るために自ら職場へ出向き、境界をまたぐ。そもそも他業界を経てから教職に就いた人であり、その経歴が資源になっている。一方でヴィルヘルムは、能力があっても仕事を変革することはなかった。ピーターの主体性は関係性に依存し、時間とともに変化した。同じ境界に立っても、社会的状況に応じて発揮のされ方が変わるという知見は、教師の力量を個人の属性としてのみ捉えることへの警告でもある。

なお、学校側から十分な支援やリソースが得られず、教師が自由時間を割いて連携を支えていたという記述は、日本と同様である。外部連携が個人の熱意に依存する構造は、フィンランドでも変わらないらしい。

最後に、教師の越境によって学校・職場・教師自身の三者が恩恵を受けるという結論部分。ここは今後、連携の意義を論じる際に引用しやすい記述だと思う。そして本論文全体としては、越境がより高次な目標に導かれていくプロセスを、主体性という切り口から描き出した点に価値がある。


元論文情報

  • タイトル: Between school and working life: Vocational teachers’ agency in boundary-crossing settings
  • 著者: Katja Vähäsantanen, Jaana Saarinen, Anneli Eteläpelto
  • 掲載誌: International Journal of Educational Research, 48(6), 395–404
  • 発行年: 2009
  • DOI: 10.1016/j.ijer.2010.04.003
  • URL: https://doi.org/10.1016/j.ijer.2010.04.003

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