参照元が消えるということ|ゲッティ・イメージズの破産とAI

教育時事

画像素材の最大手であるゲッティ・イメージズ(Getty Images)が、米国で破産手続きに入った。生成AIをめぐる出来事のなかでも、これは象徴的なものだと考えている。素材を提供してきた側、つまり参照元が、経営の形を変えざるをえなくなったという話である。

まず何が起きたのかを事実として整理し、そのうえで、この会社が生成AIの開発企業を相手に起こした訴訟がどうなったかを見る。そこから、創作物を守る制度にはどういう形がありうるのかを並べ、最後に、教育と体育にとって何が問題になるのかを筆者の見方として書く。

何が起きたのか

報じられている内容を、事実として確認できる範囲で整理する。

  • 手続きは清算ではなく、事前調整型(プレパッケージ型)の破産手続きである。目的は債務の再編と、株式の非公開化とされている。会社と事業そのものがなくなるという話ではない。
  • Koch Equity Development と、ゲッティ家の一部のメンバーが、合計で5億3,300万ドルを出資して会社を取得する。貸し手側は、未払い債務のうち約2億7,000万ドルの償還に合意したと報じられている。
  • 直接の引き金は、2026年6月に、約37億ドルでのShutterstockとの統合合意が破棄されたことだとされている。英国の競争当局が、Shutterstock側の編集事業の売却を求めたためである。その後、会社は投資銀行を起用して選択肢を検討し、数か月後にニューヨーク証券取引所の上場廃止に至った。
  • 4年前の企業価値は48億ドルと報じられていた。

AIとの関係については、報道の見立てと事実を分けて読む必要がある。報じられているのは、ニュース写真や報道用の画像という同社の強みは依然として強い一方で、ストック画像の事業がAIによる生成画像に切り崩された(undercut)という見方である。破産手続きの直接の原因として説明されているのは統合合意の破棄であり、「AIのせいで倒産した」と一行で書けるような因果が示されているわけではない。ただ、事業の土台が削られてきたという見立て自体は、複数の媒体で共通している。

参照元が、自分を駆逐したものを訴えた

この会社は、生成AIの開発企業であるStability AIを訴えていた。学習に使われた画像の権利をめぐる争いとして、世界でもっとも注目された訴訟のひとつである。結果は、次のようになっている。

英国

高等法院(Chancery Division)で2023年1月に提訴され、2025年の夏に約6週間の審理が行われ、2025年11月4日に判決が出た。

  • 学習済みモデルの重み(パラメータ)が「侵害複製物」にあたる、という主張は退けられた。モデルの中に著作物の複製が保存されているわけではない、という判断である。
  • 認められたのは、旧バージョンのモデルが生成した画像に、GettyやiStockのウォーターマーク(透かし)が再現されていた点についての、限定的な商標権侵害のみだった。
  • 英国内で学習や開発が行われたことを示す証拠が足りず、学習そのものに関する請求は、Getty側が自ら取り下げた。
  • 2025年12月に、控訴の許可が出ている。

米国

2023年2月にデラウェア地区へ提訴されたが、管轄の争いを経て2025年8月にカリフォルニア州北部地区へ移された。直接侵害、デジタルミレニアム著作権法(DMCA)上の権利情報の改変、商標法に基づく請求が立てられている。2026年4月に、このうちDMCAに関する請求のみが(修正の機会つきで)退けられ、残りは係属中である。陪審裁判は2028年1月に予定されている。

つまり、資金も法務の体制も整った世界最大手が、6週間の審理まで持ち込んで、著作権の本丸では主張を通せなかった。残ったのは透かしという、商標の話である。この経緯は、記事の後半で制度を考えるときの前提になる。

いまの制度は、何を守り、何を守らないのか

日本の制度については、文化庁著作権課が出している「AIと著作権に関するチェックリスト&ガイダンス」(令和6年7月31日)が一次資料になる。要点を事実として並べる。

原則として、AIの学習のための複製等には著作権法第30条の4が適用され、権利者の許諾は要らない。作品を「享受」する目的ではない利用として扱われるためである。ただし、次の場合には、この条文は適用されないとされている。

  • 享受する目的が併存する場合。ガイダンスは三つの類型を挙げている。学習データの表現をそのまま出力させることを狙った追加学習(意図的な過学習など)、出力に既存の著作物の表現を含めることを目的としたデータベースの作成、そして特定のクリエイターの少量の作品を用いた追加学習(LoRAなど)で、その作者の表現を出力させることを目的とするものである。
  • 著作権者の利益を不当に害する場合。有償で提供されているAI学習用のデータベースを許諾なく複製する場合、IDやパスワード、robots.txt といった技術的な措置を回避して収集する場合などが挙げられている。海賊版サイトであると知りながら収集源にした場合は、開発側の責任も問われうるとされている。

権利者の側が事前に取りうる対応としては、robots.txt でAI学習用のクローラを拒否する、ログインが必要な領域に置く、そしてAI学習用のデータベースとして有償で提供することが挙げられている。事後の対応としては、差止請求、損害賠償や不当利得の返還、刑事告訴がある。なお、学習済みモデルの廃棄を請求することは通常は認められないが、学習データに類似した生成物を高い確率で生成する状態であれば認められる場合もありうる、という書き方になっている。

三つ目の類型、つまり特定の作者の絵柄を出力させるための追加学習は、漫画やイラストの作者が直面している問題にそのままあたる。線は、すでに引かれ始めている。

禁止ではなく、支払いによって守るという形

創作物を守る手立ては、禁止と取り締まりだけではない。制度のなかには、個々の利用を取り締まれないことを前提にして、お金の流れをつくることで権利者に返すという形のものがある。日本にあるものを三つ挙げる。

  • 有償でのライセンス提供。先に見た文化庁のガイダンスが、権利者の対応として挙げているものである。禁止するのではなく、値段をつけることで、許諾のない学習を法的に防ぐという考え方になっている。
  • 補償金という仕組み。著作権法第30条第2項には、私的な録音・録画について、機器や記録媒体の対価に補償金を上乗せし、権利者側に配分するという制度が置かれている。一人ひとりの利用を追いかけるのではなく、全体から集めて返す形である。
  • 公的な助成。芸術文化振興基金のように、制作そのものに公費を充てる仕組みがある。守るというより、作る側を支えるという形である。

筆者の見方

ここからは筆者の意見である。

禁止による保護は、どこで止まるのか

著作権やガイドラインによる保護は、最後のところで使う人の善意に任されている。AIは、その作品を使ってよいかどうかを自分で判断できない。判断できるのは使う人だけである。

そして、訴訟によって線を引き直すことは、現実にはほとんどの権利者にできない。ゲッティ・イメージズでも、著作権の本丸では主張を通せなかった。個人の作者が同じことをできるとは考えにくい。一社や二社の大企業がやったことについて裁判で争うならまだ形になるが、ネットの利用者は何億という数である。そのうちどれだけに善意があるのか。たとえ0.001%でも、人数にすれば相当な数になる。速度制限が守られていないのと同じで、禁止という形だけでは行動は変わらない。一国の指針が、国境を越えて事業を行う企業にそのまま及ぶわけでもない。

だから、理想論としての取り締まりには、あまり期待できないと考えている。それよりも、制作する側にお金が渡る仕組みをつくるほうが実質的だと思う。制作者を雇う、公費で制作を支える、使う側が払う形を制度として組む。そうした金銭的な保護のほうが、守りたいものを実際に残せるのではないか。

困るのは、生成物の多さではない

生成AIについて語られるとき、問題は「大量に生成される」ことだとされがちである。しかし困るのはそこではないと考えている。困るのは、オリジナルが消えるということである。

もともと、生成されるものは参照元がなければ成り立たない。学習するものがなければ、何も出てこない。少し強い言い方になるが、頼りにしている相手を細らせてしまう関係に見える。参照元が残らなければ、やがて生成されるものの質も保てなくなる。

そして、守るべきものは物質ではない。人が作る芸術、漫画、アニメ、文章、図像。ネット上に置かれているもののほうが、むしろ危うい。だからこそ、何が残りうるのか、何が淘汰されうるのかを、分けて議論する必要がある。これは画像だけの話ではなく、思考についても同じことが起こると考えている。

なくなってからでは遅い

もうひとつ、教える内容そのものについて書いておきたい。参照元がAIによって駆逐されうるということ自体を、リスクとして伝えるべきだと考えている。

生成AIのリスクとして学校で扱われるのは、たいてい、誤った情報が出てくること、内容に偏りがあること、個人情報や著作権を侵害しかねないこと、考えないまま答えを写してしまうこと、といったあたりである。どれも大切だが、いずれも「いま目の前に出てきた出力をどう扱うか」という話である。ここまで述べてきたのは、もう少し長い時間の話になる。使っているうちに、参照していたもとのほうが細っていく。

そして、これは起きてしまってからでは手の打ちようがない。なくなってから「あれは必要だった」と言っても遅い。だから、なくなりうるということを、先に伝えておかなければならない。使い方を覚えることと同じくらい、自分が使っているものが何に支えられているのか、その支えに何が起きているのかを知ることが、情報を扱う力の一部になるはずである。次期学習指導要領の審議まとめも、情報活用能力を抜本的に高めることを課題として挙げている。その中身に、この視点を入れておきたい。

体育では、身体で経験することが参照元にあたる

教育でも、同じことが起こる。子どもが最初に触れるものが生成物になれば、参照元に触れる機会が減る。一次資料、本物、現場、そして自分の身体である。

次期学習指導要領の審議まとめ(令和8年10月5日)は、その第1部で、五感を通じた体験や身体性を、AI時代にこそ重要になる人間ならではの力として挙げている。この書き方は、ここまで述べてきたことと重なる。体育において、身体で経験することは参照元にあたる。跳んだときの浮く感覚、受け身を取ったときの衝撃、ボールが思った所に行かなかったときのずれ。これらは、映像を見ることでも、説明を読むことでも、生成された解説を読むことでも代わりにならない。自分の身体でやってみる以外に手に入らない。

ここで注意しておきたいのは、だから映像やAIを使わせないという話にはならないということである。禁止では守れないというのは、教育でも同じである。守る側の手立ては、支援のほうにある。本物に触れる機会に、時間と予算を割くこと。実際に身体を動かす時間を減らさないこと。参照元を保つ場所として学校を考えるなら、やるべきことはそちらだと思う。

生成されたものが増えること自体は、止められない。止める必要もないのかもしれない。ただ、参照元が細っていくことには、意識して手を打たなければならない。それは画像でも、思考でも、身体でも同じである。

出典

  • Axios ほか、2026年10月13日の各紙報道
  • Getty Images Holdings, Inc. v. Stability AI Ltd. 英国高等法院(Chancery Division)判決、2025年11月4日
  • Getty Images (US), Inc. v. Stability AI, Inc. 米国カリフォルニア州北部地区連邦地方裁判所、係属中
  • 文化庁著作権課「AIと著作権に関するチェックリスト&ガイダンス」令和6年7月31日
  • 中央教育審議会「次期教育課程の在り方について(審議のまとめ)」令和8年10月5日

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