「憂鬱」「不安」「死にたい」「もうすぐ終わる」「怖い」。ノルウェーの体育教員養成課程で、ブレイキン(ブレイクダンス)の発表を前にした学生47名が付箋に書いた言葉です。26枚のうち、肯定的な言葉はわずか4枚でした。ところが2回の授業を終えたあとの振り返りでは、ほとんどの学生が「思っていたよりずっとうまくいった」「楽しかった」と書いています。何が起きたのでしょうか。
この論文は、オスロ・メトロポリタン大学のTonje Fjogstad LangnesとクリスチャニアカレッジのHilde Rustadが、2024年にPhysical Education and Sport Pedagogy誌に発表したものです(オープンアクセス)。30年以上ダンスを教えてきた二人の教員養成者が、コンタクト・インプロヴィゼーションのダンサー、ナンシー・スターク・スミスの「failing successfully(成功的に失敗する)」という概念を借りて、学生の「失敗への恐れ」を学びの資産に変えられるかを問うた、授業と研究を兼ねたプロジェクトの報告です。
この記事の要点
- 体育教員養成の学生に、慣れないダンス(ブレイキン)を自作して人前で踊らせると、全員が恐れを抱いたが、大半はそれを「期待を超える達成感」へと変えた。鍵は、感情を付箋で可視化して共有すること、練習を仲間と行うこと、そして「失敗しても生き延びる」と概念化することだった。
- 成功経験ばかりを積んできた体育教師志望の学生に、あえて苦手な運動を経験させることは、彼らの経験的な資産になる。苦手な側の気持ちを知らないまま体育教師になるのは危険だと私は考えている。
- 失敗への恐怖を正常化し「すべてが得意である必要はない」と認めるという考え方は、完璧主義的な日本のカリキュラムや体育教師にも必要である。苦手を表明して共感してもらえることが肯定的な経験になりうることを、この論文は示している。
詳しい検討は 専門家コメント に書いています。
研究の背景・目的
ダンスは多くの国で体育の必修内容になっているにもかかわらず、多くの体育教師が内容にも教え方にも自信がなく、ダンスを避けることが繰り返し報告されてきました。その結果、教員養成課程に入ってくる学生は、体育の授業としてダンスを経験したことがほとんどありません。一方で、体育教員養成の学生は運動やスポーツで成功してきた経歴をもち、それが体育のなかで報われ続けてきた人たちでもあります。著者らはここに一つの空白を見ます。多くの学生は、体育で行われる活動を「できない」という経験、つまり失敗の経験を一度もしないまま教員養成に入ってくるのです。
ノルウェーの国家カリキュラムはダンスを体育の中核要素として明記しており、学生は「将来ダンスを教えられる体育教師になる」ことを求められます。しかし人前で身体をさらす体育の可視性は、仲間からの否定的な評価への不安を生み、学生は病気を装う、根拠のない言い訳をするといった自己ハンディキャッピングで課題を回避しがちです。先行研究には、それでもリスクを引き受けようとする学生の姿や、授業にあえてリスクを組み込むことの重要性、教師の自律性支援が失敗への恐れを減らすことなども示されています。
理論的には三つの柱があります。第一に、感情を内面の状態ではなく社会的文脈のなかで「演じられる」コミュニケーション資源とみなす象徴的相互作用論の立場です。私たちは葬式で悲しむように、ダンスでは居心地の悪さを感じるという「感情のルール」に自分の感情を合わせようとします。第二に、スターク・スミスの「成功的に失敗する」という概念で、「行きすぎてうまくいかなくても、そこから学び、続けて、生き延びる。美しくなくても、それが再挑戦の自信を育てる」という考え方です。状況を認識し、概念によって距離をとることで、不快な感情に飲み込まれずにすむとされます。第三に、Biestaの教育におけるリスクの議論で、学生が責任を引き受け、すでに知っていることの先へ踏み出す状況をつくることが教育には不可欠だという主張です。研究の問いは「リスクを引き受けることと失敗への恐れは、いかにして教員養成における教師としての力量獲得の重要な資産となりうるか」です。
方法
対象はノルウェーの大学で体育を専攻する4学期目の学生47名で、5年制の教員養成課程(10〜15歳を教える教師の養成)に在籍しています。2023年1〜2月に90分のダンス授業が7回あり、第一著者のLangnesが計画と実施を担当しました。分析対象はそのうち最初の2回です。
1回目の授業は教員養成課程の2日目に置かれ、「自分を信じる」をテーマにヒップホップ文化とブレイキンの基本要素(エントリー、トップロック、シックスステップ、ドロップ、フリーズ)を導入しました。授業の冒頭で教員は「この授業では、あなたも私も、コンフォートゾーンの内と外を行き来する。何が快適で何が不快かは人によって違うから、支え合うことが大切だ」と告げています。学生は無作為に4人組に分けられ、「約1分のブレイキンのシリーズを自分で作り、どこでも踊れるように練習してくること。次回、全員が自分の力量に応じて発表する」という宿題を課されました。
1週間後の2回目の授業は「感情の投票」から始まります。学生は入室時に、これから行う発表に対して抱いている感情を匿名で付箋に書き、壁に貼りました。教員はそのすべてを声に出して読み上げ、そのうえで「成功的に失敗する」という概念を紹介しました。授業はスコットランドのジグサークルと簡略化したタンゴで「身体化された誇り」と「共同体のなかで誰かであること」を練習し、後半で各自のシリーズを新しい小グループの前で発表しました。
データは、教員のノート、28枚の付箋、そして2回の授業後に全員が提出した「作成と発表の過程、直面した困難、学んだこと」についての振り返り47件です。分析はBraunとClarkeの再帰的テーマ分析で、二人の著者が個別に読んだうえで解釈を突き合わせ、経験的な解釈と理論概念の試行を往復するアブダクティブな手続きをとっています。なお47名のうち、ブレイキン経験者は1名、人生で多くダンスをしてきた学生も1名だけでした。
結果
振り返りを整理すると、全員が発表を心配し、恐れさえ抱いていました。内訳は、心配したがやり遂げた9名、心配したが思ったよりうまくいった8名、心配したが楽しく意欲が湧いた24名、心配したが病気や怪我で発表しなかった6名です。分析からは二つの大テーマと、二つの下位テーマが導かれました。
失敗への恐れにとどまる
付箋に書かれた言葉は、憂鬱、不安、死にたい、怖い、疲れた、空っぽ、準備できていない、といった否定的なものが大半で、肯定的な言葉(うまくいく、踊りたくてたまらない、面白い、幸せ)は26枚中4枚でした。著者らはこれを、学生にとって何かが賭けられており、発表がリスクの引き受けであったことの表れだと読みます。
教員が付箋を読み上げたことは、一部の学生に大きな影響を与えました。ある学生は「先生が付箋を読み上げてくれたことで、緊張しているのは自分だけではないとはっきりわかった」と書いています。感情の情報は普段、他の学生にも教員にも隠されています。読み上げによって、発表への不安や失敗の可能性を感じるのが「普通」であるという理解が生まれました。多くの学生が「コンフォートゾーンを大きく越えなければならなかった」「困難はほとんど自分の頭のなかにあった」と書きつつも、課題を放棄せず、できないと思っていた動きをやり遂げています。
高まる達成と成功の感覚
ほとんどの学生にとって、課題は「(ほぼ)不可能なもの」から「期待を超える達成の経験」へと変わりました。「リズム感がなく、テンポを保ちステップを順番どおりにやりながら誇りを見せるのはとても難しかった。でも最後にはうまくいった」「不快な感情を通り抜けてきた。自分の困難に向き合いリスクをとることで課題を解決しようとした。達成したい、喜びを感じたいという願いから、自分について多くを学んだ」という記述が例として挙げられています。ある学生の「コンフォートゾーンの外は快適ではない。でも成長したいなら必要だ」という言葉は、著者らの主張を凝縮しています。
下位テーマの一つは練習の重要性です。全員が人前で自作を踊るという期待が、練習の切迫した必要を生みました。教員が動画リンクを共有したこと、小グループで一緒に練習するよう求めたことが動機づけを高め、「何度も試すこと、仲間からコツをもらうことが効いた」「誰かと練習することで、多くの人が人前で踊るのを不快に感じていると理解できた」といった声が集まっています。
もう一つの下位テーマは何かが起きているです。大半が否定から肯定への転換を語る一方で、2名の学生はより深く動揺していました。一人は動画を見て「ちょっとした崩壊」を起こし、2回目の授業をさぼる寸前だったが、居心地のよいメンバーと組めたことで自分の状態を打ち明け、ベビーフリーズだけを見せて乗り切り、帰り際に仲間から肩を叩かれて「タフだね」と言われたことを喜んでいます。もう一人は発表で振り付けを忘れて立ち尽くし、恥と仲間の評価への恐れを感じました。その背景には、直前のジグサークルとタンゴの最中に仲間から受けた、本人にとっては不要な否定的コメントがありました。中学・高校ではパニック発作を起こしダンスを免除されていたこの学生は、「初めてダンスを楽しんでいたのに、そのコメントで一気に中学校に引き戻された」と書いています。それでも二人とも「『ここに私がいる』という態度は教師として役立つ」「望んだようにはいかなかったが、自分の知る最も怖いことに挑戦した」と、振り返りを肯定的に結んでいます。著者らは、仲間の何気ない一言が一人を持ち上げ、別の一人を突き落とすことを示すこの対比を、教員には聞こえないところで「何かが起きている」ことの証拠として重く受け止めています。
考察のポイント
考察の第一の柱は、感情の投票が課題を「個人の課題」から「共通の関心事」へ変えたという点です。体育では喜びは表に出してよいが恐れは隠すものとされがちで、学生の不快感を放置すれば学びを妨げるだけでなく、不安が固定化してダンスへの将来の関与を制限してしまいます。付箋を声に出して共有することは、否定的な感情に公的な声を与え、学生を過程の当事者にし、不快な状況を「普通のこと」として扱えるようにしました。教員はそこから、体育で排除されるとはどういう感じかという議論へと学生を導いています。
第二の柱は、ダンスの導入をめぐる通説への異議です。従来の教員養成や体育では、ダンスを怖くないものにするために、学生が慣れているスポーツの動きから入ることが多くありました。しかし著者らは、それは学生がすでに得意なことをさらに練習させるだけで逆効果になりうると論じます。しかもその方法は「ダンスは気まずいものだ」という社会的規範を再生産し、学生は「ダンスは不快に感じるべきもの」という感情のルールに自分を合わせてしまう。本プロジェクトはあえて、慣れてはいないが認知度の高いブレイキンから入り、リスクを前面に置くことで、教員も学生も何が起きるかわからない状況をつくりました。
第三に、著者らは不快さを成長の一部として価値づけながらも、その脆弱性を認めています。恐れや不快感を麻痺させることが役に立たない場合も多く、2名の学生の経験は、感情が集団過程によって制約され維持されるものであること、そして仲間の一言が自尊心を左右しうることを示しました。著者らは、振り返りを書かせることが、学生に自分の脆弱性についてメタ的に省察させ、他者(とりわけ子ども)もまた脆弱であるという理解へつながると位置づけます。ここに教員養成にとっての転移価値があります。教員養成で「学ぶ学生」として経験した恐れは、将来「教える教師」として、自分とは異なる運動経験と好みをもつ子どもの感情を理解するための身体的・感情的な共感の土台になるというわけです。
まとめ
著者らは、教員養成の学生を「成功的に失敗する状況」に継続的に巻き込み、そうした状況を識別し、どこに学びの可能性があるかを分析する練習を積ませることを提案しています。状況に名前を与え、距離をとって眺められるようになれば、以前は否定的な感情を引き起こした状況に、同じ感情で入っていかないことを意識的に選べるようになる。うまく踊れなかった学生でも、学習成果を優先する限り、その状況は「成功」として経験されうるのです。結びでは、この考え方が体育以外の学校の文脈にも転移すること、そして若者が自分に極端に高い要求を課す時代にあって、失敗にともなう恐れを正常化し「すべてが得意である必要はない」と認めることが、若者のメンタルヘルスの向上にも寄与しうると述べられています。限界と今後の課題として、感情の投票という手法の検討、他の運動領域やより低い年齢層への適用が挙げられています。
専門家コメント
PETEの学生は、運動やスポーツ経験に対して、肯定的な感情を抱きがちであり、成功経験を多く味わってきた者たちが多い。そういった者たちに、ある種の苦手な運動を経験させることは彼らの経験的な資産になるという発想は興味深い。確かに、PETEの学生が教育される側として体育で苦手なことに直面する経験は未知のことであろう。結果として、何がもたらされるかは各人の受けとめ方次第ではあるが、その気持ちを知らないまま体育教師になるというのも危険。
最後に、本論の趣旨とは少し異なるが、結論部分の記述でみられた「失敗や失敗することに伴う恐怖を正常化し、『すべてが得意である必要はない』と認めることの重要性を強調することで、本稿は若者のメンタルヘルスの向上に寄与する。」という考え方は、完璧主義的な日本のカリキュラムや体育教師にも必要な考え方だろうなと思う。みんな何となく感覚ではわかっているものの、言葉で表現してはいけないと思い込んではいないだろうか。苦手は表明して共感してもらえることで肯定的な経験にもなることはこの論文が示している。
元論文情報
- タイトル:Failing successfully with dance in physical education teacher education
- 著者:Tonje Fjogstad Langnes, Hilde Rustad
- 掲載誌:Physical Education and Sport Pedagogy(オンライン先行公開、1–14頁)
- 発行年:2024年(2024年11月5日公開、オープンアクセス CC BY 4.0)
- DOI:10.1080/17408989.2024.2425332
- URL:https://doi.org/10.1080/17408989.2024.2425332
関連記事
- 停滞を越えて|小学校体育授業における協同学習モデルの適用過程:情意・社会的能力の向上を意図した高学年表現運動の実践を対象として
- 型を守る力ではなく、手放す力|Teachers’ experiences of enacting pedagogical models and models-based practice: a systematic mixed study review
- 委ねることと、手を離すことは同じではない|The complexity, tensions and struggles in developing learning communities throughout a Sport Education season
- 思想を教えるか、選べるように導くか|’You have to find your slant, your groove:’ one physical education teacher’s efforts to employ transformative pedagogy


コメント