協同学習モデルを体育授業に入れると、子どもは育つ。では、教師は何を経験しているのか。教職15年目、器械運動の授業研究を重ねてきた熟達した教師が、小学5年生のマット運動11時間にジグソーを組み込みました。単元序盤、子どもたちは「どこに行って何を言えばいいのか」分からず、活動量が落ちます。中盤、互いに声はかけ合うものの、その言葉は仲間の技を良くするものになっていません。この論文は、その二つの葛藤に教師がどう対処し、その過程で教師自身が何を学んだのかを、教師の語りから描いたものです。
著者は栗田昇平(大阪体育大学)、佐藤貴弘(筑波大学)、川原吉夫(江東区立第四砂町中学校)、岡出美則(日本体育大学)で、『体育学研究』第70巻(2025年)に原著論文として掲載されました。本ブログ運営者自身の論文です。実践は2013年に行われ、日本体育学会第65回大会のシンポジウム報告(栗田, 2015)を加筆修正したものです。解釈的アプローチの立場から、授業者と担任教師への半構造化インタビューと参与観察のフィールドノーツを継続的比較法で分析しています。
この記事の要点
- 授業者は【課題の生起】→【対処戦略】→【対処の帰結】という問題解決過程を2回経験した。1回目はマネジメント課題への適応(ハイタッチルールの導入)、2回目は児童間の協働的な関係性の形成(見合う観点を4つから1つに絞る)である。
- この問題解決過程を通じて、授業者は児童の成長を実感し、一斉指導型のインストラクターから間接支援的なファシリテーターへと、授業観のレベルで自身の在り方を変えた。私はこれを変容的学習として読み、その条件をモデルの「非日常性」と「成功体験」に求めた。
- 問題やそこから生じる葛藤は、実践における不要なノイズではなく、深い学びを生じさせる契機になり得る。グランドデザインを押し通すのではなく、ローカルに発生する実態と対話して形を模索する「実験的試行」の態度が、教育学モデルの適用には求められると私は考えている。
詳しい検討は 著者コメント に書いています。
研究の背景・目的
VUCAと呼ばれる予測困難な社会において、体育教科の潜在的な学習可能性が子どものウェルビーイングに寄与するという主張があります。しかし、その恩恵は体育授業を行えば自動的に得られるものではなく、望ましい目標を明らかにし、対応した指導方法を同定し、効果的に実践することによって得られるものです。近年の体育カリキュラムは特定の競技スポーツの技能習得を強調する傾向が過度にあり、実社会の学習で重要な動機づけのニーズに対応できないという批判もあります。
協同学習モデルは、この課題解決に有用な学習指導方法論の一つです。根拠は二つ。一つは、学業的達成、能動的学習、社会的スキル、精神的健康、学習の公平性、人間関係の醸成といった恩恵が、現代に求められる資質能力に対応していること。もう一つは、協同学習モデルが学習者だけでなく、それを実践する授業者にも変容を促すことです。Caseyは自身の実践を通じて、子どもを信頼して学習や環境のコントロールを子どもに委託することを学び、その際に無意識に採用していた直接的指導の背後にある安心感や効力感を認識し、それを捨てるリスクを受け入れる必要があったと述べています。この学びは知識や技能の獲得という表層的な変化ではなく、体育授業観や子ども観というより深いレベルの変化でした。
国内でも協同学習モデルの研究は蓄積され、その恩恵が得られることは示されてきましたが、適用過程が平易でないことも英語圏・国内の双方で報告されています。普及を考えるなら、この適用過程の問題を理解することが次の課題です。本研究では、適用過程の問題に直面する当事者である教師の経験に直接アプローチします。その利点は、葛藤と対処のストーリーから実践を推進する手がかりを得られることと、協同学習モデルが教師の学びに与える影響を明らかにできることです。国内では子どもの学びは多く調査されてきた一方、教師の学びが「何が、どのように」もたらされるかは調査されてきませんでした。
本研究の目的は、体育授業への協同学習モデルの適用過程における教師の経験を明らかにすることです。手法として解釈的アプローチを用います。国内の協同学習モデル研究では、介入と効果検証という「教育」を入力と出力の産出過程として捉える実証主義的アプローチが多く用いられ、有効性の立証という形で実践を後押しする知見を提供してきました。しかし、このアプローチは教育・学習過程に不可分に存在する複雑性を縮減、あるいは無いものと仮定するため、得られた知見を運用する際に現実の複雑性への対応に困難を抱えます。解釈的アプローチは「状況と主体との相互交渉の過程」といった複雑性の理解に主眼を置き、人を自らの思考と判断で行動する再帰的主体と捉え、当事者の視点と解釈の再構築を通じて、人々がなぜそのように行動するのかを納得できるようにすることに注力します。
方法
調査期間は2013年4月下旬から2014年3月下旬、対象授業は6月18日から7月11日です。対象は授業者(教職歴15年目)と、対象児童の学級担任(教職歴5年目)の2名。授業者は剣道、陸上、サッカー・フットサルと競技歴が多岐にわたり、複数校で研究主任・体育主任を経験し、器械運動の授業研究を中心に毎年研究授業を行い、体育関係の雑誌にも寄稿する教師でした。当時は長期研修生として大学院に在籍し、前年度まで在籍した小学校の学級で授業を行っています。参加の動機は、自身が主導して児童に確実に技能を身につけさせることには自信があったが、その次の段階として、児童が主導して教師と同じ目で互いの技を見合い教え合う授業の在り方を模索していた、というものでした。
対象学級は5年生28名(男女14名ずつ)。年度初めに2つの小学校が統合した経緯があり、担任教師は「他人への意識が高まり、補助をするための体の触れ合い等の接触を極端に避けている」「自分のことに精一杯で、友達のことを考えられる児童が少ない」と述べていました。運動領域はマット運動です。器械運動は課題達成を認識しやすく、達成が個人に帰属しやすいため、5つの構成要素のうち「個人の責任」は満たしやすい一方、「互恵的な関係性の設定」が困難になります。そこで補助や助言が生じやすい課題構造と、グループ得点制による組み合わせ技発表会という集団達成の目標構造を設定しました。
単元は全11時間。毎時間の初めに一斉指導の「基礎感覚学習」を置き、ストラクチャーとしてジグソーを3セット(3〜5時間目:大きな前転・跳び前転、6・7時間目:倒立前転、8〜10時間目:側方倒立回転)組み込みました。手順は、技のポイントと練習方法を「エキスパート学習」で学ぶ、フォーマルグループに戻って1人ずつ伝える「ジグソー学習」で共有する、グループで練習を繰り返す、というものです。各技のコツと練習方法は4つずつ用意され、学習掲示板で提供されました。5つの構成要素には、ジグソーとグループ得点制、エキスパート学習で学んだことを教える構造、「技の実施と観察・言葉かけを1セット」とするルール、良い言葉かけの「例示」と良い関わりの「共有」、学習カードでの振り返り、という手続きを対応させています。適用にあたっては、体育科教育学の大学教員、授業者、大学院生の3名が単元前および単元中も週1回程度協議し、Metzlerのベンチマークを参考にモデルの忠実性を確認しました。
データは、授業者への半構造化インタビュー(単元前、中盤、終了後、毎授業前後)、担任教師へのインタビュー(序盤、中盤、終了後、年度末の4回)、そして第一著者が4月から3月末まで学級活動にボランティアとして参加して作成したフィールドノーツです。分析は継続的比較法で、叙述的コーディング、カテゴリー化、アクシャル・コーディング、セレクティブ・コーディングの4段階を踏みました。妥当性・信頼性は、授業者の語りを中心に担任教師の語りとフィールドノーツを補完的に置くトライアンギュレーション、メンバーチェッキング、体育科教育を専門とする大学教員2名と大学院生2名による仲間同士の検証で確保しています。
結果
第1の問題解決過程:マネジメント課題への適応
授業者は2時間目のねらいを「協同学習のシステムを子どもたちに伝えること」とし、序盤で活動に慣れさせることを意図していました。しかし3時間目、「運動量よりも『どうしよう』っていう、自分たちのマネジメントに(時間を)費やした」「『何を言っていいんだろう?』、『何していいんだろう』って感じでわからない状態があった」と語ります。移動や順番、用具の使い方といった準備段階の意思決定が児童に委ねられるため、学習掲示板で指針は示していたものの、児童は多くの情報を一度に取り込めず、手探りの取り組みになっていました(【課題の生起】1:[マネジメント課題による活動量への影響])。
これに対して授業者は、一連の学習手順を楽しめる形で伝える方法を考案しました。「ハイタッチルール」です。特定の児童が技を実施し、助言をもらったら、もらった者と行った者の両名でハイタッチをする。シーデントップが「マネジメントゲーム」と名づけた方略に相当しますが、授業者は事前にその情報を得ていたわけではありませんでした。ハイタッチは「観察した後に助言を行う」流れの終わりを示すと同時に、「役割を交代して次の者が取り組む」始まりのシグナルとして機能し、聴覚的にも刺激のある接触動作によって、マネジメント構造が親しみやすい形で浸透していきました(【対処戦略】1:[マネジメントゲームの導入])。
単元中盤、授業者は「3時間目からは、その中で非常に学習の仕方が定着化してきた。初めは時間のロスがあったんですけど、色んな行い方が子どもたちに浸透した上で、学習の流れがスムーズにいった」と手応えを語ります。加えて「自分の動きっていうのを見てもらって、評価をしてもらえるっていうところは、非常に大きなポイントだった」「教え合いの大きな深化だった」と、児童間の交流の促進も実感していました。担任教師も「ハイタッチは効果的だなと思いました。子どもたちもテンションがあがると楽しくなるんですよね」「友だち同士で認め合えることが楽しいっていう形をつくろうとされてた」と述べています(【対処の帰結】1:[マネジメント課題への適応][児童間の交流の促進])。
第2の問題解決過程:児童間の協働的な関係性の形成
「最初は、結構ぎくしゃくしている場面がたくさんありました。仲の良い者同士でしか関われなかった」状態から、児童は「意外とやってみたら楽しくできた」と関わり合うようになります。しかし授業者は、「何のために関わるのか」という目的性が欠けていることに課題意識を抱きました。4時間目のフィールドノーツでは、3班の男児が跳び前転を行い、観察役の3名が「オッケー」「よかった」「きれいだった」と声をかけてハイタッチする様子が記録されていますが、掛け合う言葉に矯正的な内容は少なかったと記されています。授業者は「子ども自身が言ったことによって、仲間の動きがどれくらい良くなったかというのを、1人1人がどの程度認知しているのかな」「言われた相手がどれくらい上達しているのかっていうところの目線がまだできてない」と語ります(【課題の生起】2:[児童間の関わりにおける目的性の欠如])。
授業者は、4つのポイントを用いることによる活動の複雑さに問題があると考えました。児童が自らの助言で仲間の技能が高まるという見通しを持てずにいるのではないか。そこで5時間目の跳び前転で、4つのポイントで教え合う活動を、1つの重要なポイントに絞る活動に変更しました。「観察者は、跳び前転の跳ぶ局面において手と足が同時に離れている間に、手を何回叩けるか」という具体的で簡易な支援方法です。「子どもたちにとって、4つの観点は多くて……活用し切れなかった面があるんです。でも、今日については、観点を1つに絞った。子どもたちの技能は、異質でバラバラなんだけど、観点は1個だったので、(仲間の)向上のための学び合い、有効な学習が4人組みの時間に十分にされていた」(【対処戦略】2:[グループ活動の複雑さの解消])。
5時間目のフィールドノーツには、7班の児童が跳び出しに合わせて手を叩き、「2回。手を前に出してもうちょっと前に跳んだらどうかな。もう1度」と助言し、2回目に「3回だった。増えた。オッケー」と称賛する様子が描かれています。助言を受けた跳び前転はより高いものになっていたように見えた、と記されています。授業者は「高く跳ぶためのコツに視点がいくので、4人がそれぞれ学んできたことも活かせて、非常に関わり合いが活性化された授業ができた」と語り、児童間の関わりは、単に交流を楽しむものから、仲間の技を評価し高めるという目的性を含んだものに変化していきました(【対処の帰結】2:[児童間の協働的な関係性の形成])。
授業者の学び
単元終了後、授業者は「大半の子どもたちが側方倒立回転の技能目標を達成している」「難しいが故に、友だちと助け合わなければならない。言葉をかけ合う必要がある。できなかったとしても、励まし合うことによって投げ出さず、その中で楽しさを導き出せている」と、技能と社会情意の両面での成長を語ります。「これまでにないような仲間意識が、協同学習をやることによって生まれていた」「今まで自分だけが上手くなればいいという考えから、友だちができるようになった時の喜び、達成感というところも子どもたちが感じることができた」。また「これまでは教師が全部一場面ごとに全部やらなければいけなかったことを子どもたちがそれぞれの場所で必要感を持って、資料を活用しながらできていた」と、児童の自律的な学習過程を新しいものとして受け止めていました。担任教師は年度末に「明らかにあの授業から、子どもたちの様子が変わっていきました。話し合いができるようになっていたり」「クラスの殻がやぶれて、自分の意見が全体の前でしっかり言えるっていう雰囲気になれる」「自分だけができていればいいだったんですよね、それまでは」と語っています([児童の成長の実感])。
そして授業者は、自身の在り方の変化を語ります。「自分は全体を見渡せる役になれたなと。自分がコントロールするものとしてよりも、むしろ、子どもたちがそんなに自分が入らなくても学習を進めていけるものなんだなと。だから、教師の役割として、時間をコントロールすること、あとは全体をみて停滞しているところを見つける目をしっかりと持つということ。子どもたちの学びの良い姿というものをたくさん見つけてあげて、フィードバックをたくさんしてあげること……以前ですと、どっちかというと、一斉指導型の授業を好んでやっていたんですけど、本当に全体に学びを広げていく意味では非常にいい立ち位置を知ることができた」。経験豊富で自身の授業スタイルを保持していた教師が、非日常的な実践のなかで児童の成長という成功経験を通じて、インストラクターからファシリテーターへの在り方を受け入れていった過程です([新しい教授スタイルの受容])。
考察のポイント
【課題の生起】と【対処戦略】が見られること自体は先行研究で広く確認されており、適用過程が介入と結果という単線形の図式では説明しきれないという主張を支持します。マネジメント課題への適応に時間を要する理由として、Metzlerは学習の主導権の概念を用いて、学習者自身が学習を進行させる場面で些細なマネジメント課題に直面し、リソースを組み合わせて対応する必要があることを説明しています。第2の課題については、児童間の協働的な関係性の形成に、関係性が構築され交流を楽しむ段階と、その関係性を通じて教科の学びを自発的に促進する段階の2段階があり、両者の間に境界が生じたと推察されます。佐藤学の、対話を手段として用いる前に自己と他者が一体となって活動に没入し情緒的な結びつきを築く段階が必要になる、という主張がこれを説明します。
2つの【対処戦略】は「足場かけ(scaffolding)」の概念から説明できます。ハイタッチルールは「期待されている一連の行動のモデルを提示すること」に、観点を1つに絞ることは「課題を適度に易しくすること」に該当します。前者では、身体的接触や音によって受容的な雰囲気が形成され、交流を楽しむ土壌が形成されました。後者は、Dysonが4つの役割を単元途中で2つに変更して具体的なフィードバックを導いた例など、先行研究でも多く見られる課題の簡易化です。授業者は流動的な状況のなかで、児童の実態に適切と考えられる観点を抽出し、簡易性と適度な挑戦性を両立した課題にデザインし直しました。
【授業者の学び】は、教師が授業に働きかけると同時に、授業で起こる諸事象もまた教師に影響を与えるという相互作用的な関係性を示しています。一斉指導型から間接支援的なファシリテーターへの変化は、「望ましい授業、やりがいを刺激する授業とは何か」という授業観のレベルの前提的な変化であり、教授方略の理解や技術の上達とは異なるレベルの変容です。これはメジローの変容的学習の理論から説明できます。経験からの学習には「内容」「プロセス」「前提」の3レベルがあり、変容的学習は3つ目の前提に関わる深い学習を指します。本研究の授業者も、児童との関係性を直接的なものから間接的なものへ変容させ、自身の役割を変容させていました。その条件として、協同学習モデルの「非日常性」が変容的学習の条件である「葛藤との遭遇」をもたらしたこと、そして「成功体験」すなわち児童の成長の実感が「新しい役割による自信の獲得」として機能したことが考えられます。
まとめ
結論は三つです。授業者は【課題の生起】【対処戦略】【対処の帰結】という問題解決過程の周期を経験し、それは「マネジメント課題への適応過程」と「児童間の関係性の構築過程」の2回確認され、その一連の過程を経て、[児童の成長の実感]を通じた[新しい教授スタイルの受容]という【授業者の学び】が現れました。この学びは技能や知識の獲得という表層的なものではなく、授業における教師の在り方というより前提的な変容であり、変容的学習の特徴を備えています。著者らは、協同学習モデルを含む教育学モデルの適用には「実験的試行」という態度変更が求められると述べます。全てを統制する考えを捨て、計画したものが予期せぬ結果を招くことを認め、グランドデザインを押し通すのではなく、ローカルに発生する実態と対話し、その都度適した形を模索する。問題やそこから生じる葛藤は不要なノイズではなく、深い学びを生じさせる契機になる可能性がある、というのがこの論文の最後のメッセージです。
著者コメント
まず、なぜ「教師の経験」を主役にしたのか
私が描きたかったのは、熟達した教師が協同学習モデルという新しいものを手にして、序盤で活動量が落ちたときに何を考え、中盤で言葉が矯正的にならないと気づいたときに何を変えたか、その過程だった。国内の協同学習モデル研究は、介入して効果を測るという形式で実践を後押ししてきたが、その形式では、適用の途中で教師が何を経験しているかは写らない。「特定の指導方法を入れれば自動的に成果が出る」という図式を壊したいという私の関心は、栗田・大西(2023)と同じものである。私の視点は、万物流転、人間万事塞翁が馬である。また、生きることの本質が、課題の克服、問題の解決にあるからという哲学も反映されているのだろう。私にとっての論文執筆とは、それを描くための旅路のようなものなのかもしれない。そして、それを研究者として熟達したいという想いがあり、この論文もその中で試行錯誤してきたものだ。
次に、この授業者から学んだこと
この授業者は、器械運動の授業研究を毎年やってきた方で、自分が主導して技能を身につけさせることには自信があった。その人が、子どもに主導権を渡す授業を模索してくれた。ハイタッチルールは私たちが用意した手続きではない。授業者が子どもの実態を見て考案したもので、後からシーデントップのマネジメントゲームに当たると分かった。観点を4つから1つに絞ったのも授業者の判断だ。これらはまさに「実践的判断」であろう。私たちは週1回の協議でモデルの忠実性を確認していたが、この2つの判断は、モデルの手順書には書いていないところで起きている。教育学モデルは仕様であって処方箋ではない、と私はこのブログで繰り返し書いてきたが、この論文はそれを私に教えてくれた事例である。
そして、変容的学習として読むと
もう一つ、単元終了後の「自分は全体を見渡せる役になれたなと」という語りは、私にとって忘れがたい。一斉指導を好んでいた教師が、時間をコントロールし、停滞しているところを見つけ、良い姿を見つけてフィードバックする役へ、自分の立ち位置を変えた。これを私は変容的学習として書いた。経験からの学習には、内容の学習、プロセスの学習、前提の学習という三つのレベルがある。ハイタッチルールを考案した、観点を絞るコツを知った、というのは内容やプロセスの学習であり、熟達した教師なら日常的に起きている。だがこの語りは、「望ましい授業とは何か」という前提そのものが動いた話であり、そのレベルの変化を指す言葉として、私には変容的学習しか思い当たらなかった。
変容的学習は、日常を繰り返すだけでは起きにくい。前提が揺さぶられる契機、メジローの言葉でいえば「混乱を引き起こすジレンマ」が要る。この論文ではそれを協同学習モデルの「非日常性」に求めた。得意なマット運動で、あえて主導権を子どもに渡し、序盤に活動量が落ち、中盤に言葉が矯正的にならない。熟達者にとって不快な経験であり、Caseyらが授業者の成長には不快な瞬間が重要だと述べているのはこのことだと私は理解している。ただし、揺さぶられただけでは人は変わらない。元のやり方に戻るほうが楽だからだ。この授業者が戻らなかったのは、葛藤に対処した先に児童の成長という成功体験があったからだと私は考えている。ファシリテーターとしての自分でも子どもは育つ、という手応えが、新しい前提を定着させた。非日常性が前提を揺さぶり、成功体験が新しい前提を定着させる。この二つが揃わなければ、葛藤はただの失敗として記憶されたはずだ。単一事例であり、変容がその後の日常の授業でどこまで持続したかは、この論文の範囲では分からない。
最後に、現場の先生へ
協同学習モデルを入れて、序盤に子どもが右往左往し、活動量が落ちたとしても、それはモデルが間違っているのでも、あなたの運用が間違っているのでもない。この論文の授業者も、Caseyも、Dysonも、同じ場所でつまずいている。つまずいたときに、あなたの目の前の子どもを見て、手順を一つ減らすか、一つ楽しくするか、その判断をしてほしい。その判断があなたの実践的判断であり、モデルはそれを奪うためにあるのではない。葛藤はノイズではない。そこから何かを学べるかどうかは、葛藤を「実験的試行」として引き受けられるかどうかにかかっている。
元論文情報
- タイトル:小学校体育授業への協同学習モデルの適用過程における教師の経験:解釈的アプローチを用いて
- 著者:栗田昇平、佐藤貴弘、川原吉夫、岡出美則
- 掲載誌:体育学研究、70巻、345–364頁(原著論文)
- 発行年:2025年(2024年10月10日受付、2025年3月14日受理、J-STAGE早期公開 2025年3月26日)
- DOI:10.5432/jjpehss.018-24091
- URL:J-STAGE(フリーアクセス)
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