研究者が学校に入り、教師と一緒に新しい指導モデルを実践する。この「協働」は、モデルを定着させる最大の要因だと繰り返し言われてきました。しかし、その協働が実際にどのように行われているのかを正面から描いた研究は、驚くほど少ないのです。「協働が効く」と言われながら、協働の中身は暗黙のままでした。
この論文は、ノルウェー内陸応用科学大学のLars Bjørkeと、ラフバラ大学のAshley Caseyが、2024年にPhysical Education and Sport Pedagogy誌に発表したものです(オープンアクセス)。Bjørke自身が博士課程で小学校の体育教師2名と2年間取り組んだ協同学習の共同プロジェクトを素材に、研究者と教師の関係が「研究者が最もよく知っている」から「始まりの終わり」へと変わっていった過程を、3つの事例として率直に描いています。
この記事の要点
- 研究者と教師の協働は、「研究者が最もよく知っている」(研究者が処方箋を渡す)→「教師のニーズに基づいた学習」(教師の経験から研究者が学ぶ)→「始まりの終わり」(研究者が周辺に退き、教師が自らの実践の研究者になる)と段階的に変化し、その変化がモデルを「処方箋」ではなく「仕様」として扱えるかどうかを左右した。
- 最初の段階で生じた不均衡な権威関係は、研究者の側だけでなく、「研究者が一番よく知っているはずだ」という教師の側の期待によってももたらされている。日本の授業研究における指導助言者と授業者の関係でも、同じ構図は起こりうると私は考えている。
- 教師の主体性を高めるといっても、研究者が中立になって教師の考えに同化しすぎるべきではない。教師の意思決定を増やしつつ、研究者は問いを投げかける意図性を保つ。その両立をどう設計するかが、協働における肝だと考えられる。
詳しい検討は 専門家コメント に書いています。
研究の背景・目的
体育における指導モデル(協同学習、スポーツ教育、TGfUなど)は広く普及していますが、モデルが「語られている」効果と、実際に教室で起きていることの間には隔たりがあります。モデルを学ぶことは複雑で時間がかかり、教師を「新人に戻ったような」気持ちにさせることさえあるため、最初の単元を終えると以前の実践に戻ってしまう教師は少なくありません。
一方で、モデルの活用を持続させた教師の事例には共通点があります。Casey(2014)の文献レビューによれば、教師と大学の研究者との長期的な連携こそが「変化をもたらす最大の要因」でした。ただし、研究者が学校と関わる方法は多様です。米国のSPARKのように標準化されたパッケージを一貫して届けることを目標にする例もあれば、著者らのように教師を教育変革のリーダーとして位置づけ、研究者がコンサルタント的な役割を担う例もあります。
著者らは、協働が有効だという主張にとどまらず、協働が「どのように実践されているか」を明示的に探究する必要があると論じます。タイトルの「practising(実践する)」という語には、協働は一度確立して終わりではなく、繰り返し取り組み、洗練させていくものだという意味が込められています。本論文の目的は、2年間のプロジェクトから3つの実証的事例を取り出し、教師と研究者の協働がとりうる異なる形と、それがモデルの導入にもたらす帰結を論じることです。
方法
素材となったのは、第一著者Bjørke(本文中では「ラース」)の博士課程プロジェクトです。ノルウェーの小学校で5年生と6年生を担当する有資格の体育教師2名(エリックとデビッド)と、参加型アクションリサーチの手法で2年間にわたり協同学習(CL)を探究しました。協同学習を選んだのは、より生徒中心の体育をやりたいという教師たちの希望によるものでした。ラース自身も6年間小学校に勤めた元体育教師で、2014年から高等教育機関に移っています。
データは、プロジェクトの前・実施中・直後・1年後の教師へのインタビュー、ワークショップの録音、ラースの省察的研究日記です。分析は4段階で進められました。2年間の関与を通じたデータへの親しみ、時系列整理とオープンコーディングによる予備的な事例の特定、事例の書き直しと著者間の議論、そして3つの理論的概念を事例に適用する「対比コーディング」です。事例は「実証的事例(empirical illustrations)」として提示され、著者らは唯一の物語を語るのではなく、他の研究者や実践者の心に響くかどうかを質の基準としています。
理論的な枠組みは3つです。第一に、Kemmisらの「実践アーキテクチャ」。実践は、人々が何を語るか(言説)、何を行うか(行為)、どう関わるか(関係性)によって形づくられ、また形づくり返すという考え方です。第二に、Stenhouseに由来する「仕様としてのモデル」対「処方箋としてのモデル」。モデルを調整が必要な枠組みとみるか、青写真どおりに写し取るレシピとみるかの対比です。第三に、McNeillらの「手順への忠実性」対「目標への忠実性」。研修どおりに再現することと、細部が異なってもモデルの包括的な目標に沿っていることの対比です。著者らはこれらを二分法ではなく、連続体上の位置として扱っています。
結果
事例1:研究者が最もよく知っている
プロジェクト初期の最初のワークショップは、教師を巻き込まず、ラースが有用だと考えた内容で議題が組まれていました。モデルを理論的に検討し、協同学習の5つの主要要素を扱うという進め方です。ラースの日記には、教師たちが「舞台上の賢者」という役割を離れることに懐疑的で、激しい身体活動を必要とする生徒、特に男子生徒がこれほど抜本的な変化に対応できるのかと疑問を呈した、と記されています。
ラースは、十分な進展が得られないのではないかという恐れから会議を主導せざるを得なかったと振り返り、モデルの導入方法について自身のアイデアや解決策を提示していました。教師の側から見ると、1回の授業に完了させなければならない活動が多すぎ、ストレスで説明が曖昧になったとデビッドは語ります。エリックは、ラースの初期の作業に感謝しつつも、それが教師の「主体性を損ない、不確実性を増大させた」と述べました。
著者らは、この段階の協働が、ラースの側の博士課程という外部的な事情(進捗への懸念)と、「モデルの専門家であるラースが一番よく知っている」という教師側の信頼という、双方の期待によって形づくられていたと分析します。この実践アーキテクチャのもとでは、モデルは仕様よりも処方箋に近く、教師は外部で作成された知識の受け手となり、忠実性も目標より手順に偏っていました。
事例2:教師のニーズに基づいた学習
約6か月後の第4回ワークショップは、第1ユニットでの教師の経験を受けて内容が組まれました。教師たちは、個人が内容の一部を学んで他のメンバーに教える構成(第1期に実施)ではなく、異なる役割を分担する構成(STAD)のほうが自分たちの生徒に適していると感じ、別の教室構成を探りたいと要望していたのです。ラースは短い理論的な紹介の後、教師たちと協力してアイデアを実践に落とし込みました。
ワークショップ後、ラースは教師の自発性と参加度が高まったと「とても満足」し、第2ユニットでは両教師も多くの生徒も、このモデルを「有意義な教育手法」として体験しました。教師の自律性と主体性の高まりが、その後の成功の重要な要素だったと著者らは評価しています。
ただし著者らは、この段階の限界も見逃しません。ラースは依然として「教師たちがSTADの構造を理解し、5つの主要原則との整合を確実に理解させる」ことを目的に掲げ、話し合った内容を忘れないよう2ページの資料を渡していました。つまり、教師が構造を「正しく」学び、規定された手順に高い忠実度でモデルを実践することが重要だと、ラースはまだ考えていたのです。教師の経験から学びつつも、モデルの捉え方は処方箋の側に残っていました。また、教師たちは共同開発した授業を超えてモデルを掘り下げることはなく、それは抵抗ではなく他の業務へのプレッシャーと時間の制約によるものでした。
事例3:始まりの終わり
2年目に入り、ラースは「あまり準備をしすぎない」「先回りして考えない」ことを自らに課し、教師がますます責任を担い、自分の役割がますます周辺的になることを目標にしました。第7回ワークショップでは、事前に教師たちに議論したいことを考えておくよう依頼し、教師主導で第3期の振り返りが行われました。デビッドは「創造性を発揮し、必要に応じて自分なりの解決策を見出す余地」の重要性を語り、共同で作った授業の青写真をそのまま採用するのではなく、モデルを自身の授業に適応させ始めました。両教師は他教科でもモデルを試し、同僚と知識を共有し始めています。
重要なのは、ラースが完全に手を引いたわけではないことです。第3期の計画では、内容を決める前に単元の全体目標を策定することから始めるよう提案しました。これは「まず授業ごとの内容を決め、あとから目標を探す」という教師たちの従来の計画方法とは対照的なやり方で、教師たちは運動面・認知面・社会面の目標を1つずつ定めてから内容を選び、「協力」を単元の全体テーマにすることに自ら気づいていきました。著者らはこれを、教師の期待が「ラースが最もよく知っている」から「自らの専門的判断を働かせる必要がある」へと転換し、忠実性の重点が手順から目標へ移った過程として描いています。
考察のポイント
第一に、著者らは協働に「正しい」方法や「間違った」方法があるとは主張しません。異なる教師と、異なる時期に、異なる文脈で協働するには、それぞれ異なるツールやアプローチが必要であり、プロジェクトのある時点では「研究者が最もよく知っている」が適切な場合もあると認めています。ただし、協働の実践がどのように発展していくかは意図的に計画される必要がある、というのが著者らの立場です。
第二に、教師の主体性を高めることは、研究者が中立的な立場に退くことを意味しません。全体目標の設定を提案したように、研究者の発言は教師の考え方に問いを投げかけることで重要になりうる。教師の現場における主体性へのニーズと、外部からの支援や視点とのバランスをとる必要があるというCasey & Kirk(2021)の提言を、著者らは支持しています。
第三に、「始まりの終わり」という名称は、協働が終わった後に何が起きるかを考える必要性を示しています。博士課程や研究資金に支えられた正式な協働はいずれ終わります。その期間は、教師がモデルを持続的に活用する上での始まりに過ぎないことが望ましく、協働から生まれた実践アーキテクチャが、研究者が去った後も教師の探究を可能にするかもしれない、と著者らは述べています。
まとめ
著者らは、協働を計画する上での2つの指針を提案して論文を閉じます。(a)モデルが「処方箋」ではなく「実践のための仕様」として捉えられるような協働を計画すること、(b)忠実性を手順や青写真ではなく、各モデルの主要な考え方に照らして検討すること。そして研究者も教師も、モデルを意味ある形で実践するためには、自らの発言・行動・関わり方を「実践し続ける」必要がある。それがタイトルの含意です。
専門家コメント
まず、頷いたところ
事例1でラースが直面したのは、教師たちが「舞台上の賢者」という役割を手放すことへの懐疑だった。私はこの箇所に「授業観のちがい」と書き込んだ。研究者が持ち込むモデルと、教師がこれまで積み上げてきた授業観とのずれは、方法論の説明では埋まらない。デビッドが語った、1回の授業に詰め込まれた活動の多さと、そのせいで説明が曖昧になったというストレスも、要するにマネジメントへの適用が難しいということであり、モデルの理解の問題ではなく、教室運営の問題として現れている。研究者が「理論的に探求する」ことから入ると、この種のずれは見えにくい。
もう一つ、私が強く頷いたのは、事例1の分析である。「研究者が最もよく知っている」という実践は、ラースの側の博士課程という事情だけでなく、「ラースが一番よく知っているはずだ」という教師の側の信頼によっても支えられていた。私はここに「不均衡な権威関係」「お互いの期待感によってもたらされる」と書いた。研究者が一方的に権威を振るったのではなく、双方の期待が噛み合ってその構図ができあがる。そして教師は「外部で作成された知識の受け手」となり、その関係性はネガティブなものになる。この点は、私自身がいま取り組んでいる論文で見ている構図とも重なる。
次に、この論文の誠実さについて
事例2の描き方は、私がこの論文を評価する理由である。教師のニーズから学び、関係性が構築された段階でも、ラースは教師たちを依然として「受け皿」ととらえていた。構造を「正しく」理解させ、忘れないように資料を渡す。著者らはこれを、教師の主体性を語りながらもモデルの捉え方は処方箋の側に残っていた、と自分たちの実践に対して率直に書いている。関係が良くなることと、教師が自らの実践の主体になることは別の話だという指摘は、協働を語る研究がしばしば見落とす点だと思う。
事例3で教師たちは、共に探究する立場に移り、自らの実践の創出へと向かった。青写真を採用するのではなく、自らの状況に適した形にモデルを調整した。私はこの過程を、教師の意思決定を増やす、という言葉で捉えている。誰が決めているかが変わったのであって、教えられる量が増えたのではない。
そして、私自身が考えたこと
ただし、教師の主体性を高めることと、研究者が中立になることは同じではない。著者らが「研究者は中立的な立場をとるべきではない」と述べる箇所に、私は「中立=同化しすぎるべきではない」と書いた。教師の考えに同化しすぎれば、問いを投げかける役割は失われる。ラースが全体目標から計画を始めるよう提案したように、研究者の意図性は最後まで残っている。この論文の結論を、研究者が退けばよい、と読むのは誤りだと私は考える。
もう一つ、この論文が示しているのは、協働が社会文化的な文脈に埋め込まれているという理解である。博士課程の締め切り、学校の時間の制約、教師が抱いてきた授業観、研究者への期待。これらが言説・行為・関係性を制約し、モデルがどう語られ、学ばれ、経験されるかを左右する。だとすれば、日本の授業研究における指導助言者と授業者の関係にも、同じ問いを向けられる。あなたが授業研究で助言を受ける側、あるいはする側にいるとき、その関係はどちらの期待によって形づくられているだろうか。
研究の課題も書いておく。教師2名、しかも第一著者自身の博士課程の事例であり、著者らも認めるとおり「始まりの終わり」の先はあくまで逸話的な水準にとどまる。協働が終わった後に教師の探究が続いたのかは、この論文からは分からない。とはいえ、研究者が自らの初期の失敗をここまで率直に記述した論文は多くなく、協働を「実践し続ける」ものとして捉えるという提案は、私自身の現場との関わり方を見直す材料になった。
元論文情報
- タイトル:Practising collaboration in model implementation in physical education
- 著者:Lars Bjørke, Ashley Casey
- 掲載誌:Physical Education and Sport Pedagogy, 29(5), 491–504
- 発行年:2024年(2022年9月25日オンライン公開、オープンアクセス CC BY-NC-ND 4.0)
- DOI:10.1080/17408989.2022.2125945
- URL:https://doi.org/10.1080/17408989.2022.2125945
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