人が増え、学びは痩せた|What Makes Teachers’ Professional Learning More or Less Effective?: An Evolution of Community of Practice for Physical Education Teachers

2020年〜2024年

実践共同体(CoP)は、体育教師の専門的学習を促す最も有望な手段の一つとされてきた。だが、その研究のほとんどは「参加すると何が得られるか」という成果を問うてきた。CoP自体が時間とともにどう育ち、どう衰えるのかを追った研究は、ほとんど存在しない。

本稿で紹介するのは、Keejoon Yoon(仁川国立大学)、Sunghae Park(ソウル国立大学)、Hyunwoo Jung(韓国スポーツ科学研究所)が Journal of Teaching in Physical Education 誌の2024年第43巻第3号に発表した質的ケーススタディである。2003年に韓国で設立され、20年続いてきた体育教師の実践共同体を、3つの発達段階に分けて追跡し、専門的学習の有効性が段階を追って低下していった過程を記録している。

「教師主導のコミュニティはこうして続く」という成功の記録ではなく、その裏面——続いてはいるが、痩せていく——を扱った論文である。

この記事の要点

  • 韓国で20年続いた体育教師主導のCoPを、Wengerらの5段階モデルに沿って追った質的ケーススタディ。最も学びが深かったのは、教材を「ゼロから一緒に作っていた」初期であり、共通言語が完成した成熟期には焦点を失って停滞した。
  • 第3段階の停滞は「焦点の喪失」という無主体の現象ではない。教授のプロジェクトが会議を占めた——焦点は特定の人物の関心に沿って移動させられたのだと私は読む。
  • 協働は共通性の上にではなく、違いが残っているあいだだけ成り立つ。復活させるべきは「共同開発」という活動ではなく、異質性のほうである。

詳しい検討は 専門家コメント に書いています。

研究の背景・目的

CoPは「ある関心事、一連の問題、あるいはあるトピックに対する情熱を共有し、継続的な交流を通じてその分野の知識と専門性を深める人々のグループ」と定義される(Wenger, McDermott, & Snyder, 2002, p. 4)。Wenger-Traynerらによれば、CoPは相互関与(メンバーとアイデンティティ)、共同事業(CoPの目的)、共有レパートリー(知識や経験を交換するプロセス)の3要素から成る。

体育CoPの利点は多く報告されてきた。新しい指導戦略の学習による教育上の革新、教育観と教育者アイデンティティの変化、メンバーやファシリテーターからの支援、具体的な問題を議論する場の確保。他方で限界も指摘されている。支援の欠如、CoP内で開発した教育法を他領域に応用する困難、そして文化に根ざしたファシリテーターと教員のあいだの階層的な関係である。

ここで著者らが着目するのがCoPの発達段階である。Wengerら(2002)はCoPが「潜在」「結集」「成熟」「管理(スチュワードシップ)」「変革」の5段階を経ると論じた。つまりCoPは永遠に存続するわけでも、常に効果的に機能するわけでもない。にもかかわらず、体育CoP研究においてこの発達過程は探究されてこなかった。Parkerら(2022)のスコーピングレビューも、CoPの発達過程や持続性は説明されていないと結論づけている。

数少ない先行研究(Hunukら, 2019; Goh & Scrabis-Fletcher, 2021)にも2つの限界があった。扱われた段階が初期から成熟までの3段階にとどまること、そして調査期間が6週間・10週間といった短期であることである。そこで本研究は、10年以上続くCoPの進化と維持のメカニズムを明らかにすることを目的とした。

方法

対象は、2003年に韓国で設立されたPE-CoPである。ある教授が開発した「ハナロ教育モデル」——「親切な行動」「明るい表情」「支え合うコミュニケーション」「思いやりのある心」の4つの価値を重視し、「全人教育」を支援することを掲げた指導モデル——を共有し、それに基づく革新的な教育法を開発するために月1回の会合を開いてきた。オンラインカフェ(Facebookのグループページに似た場)でも交流し、メンバーは自らの実践を振り返る「PE日記(体育日誌)」の投稿を奨励された。

CoPの3要素は次のように満たされている。共同事業=ハナロ教育モデルによる全人教育の支援。共有レパートリー=モデルに結びついた一連の学習活動。相互関与=懇親会を通じた良好な関係に加え、メンバーの一部(35人中13人)が同じ大学を卒業し、同じ教授に指導を受けていたという濃密な背景。

研究参加者は教授1名と体育教師8名(男性6名・女性2名、教職経験4〜17年)。データは2014年9月から2015年6月にかけて収集された。

  • 半構造化インタビュー計59件(教師55件・各45〜50分、教授4件・各45〜60分)
  • 創設メンバーへのフォーカスグループ1回(100分、カフェにて)
  • CoP会議の観察4回(筆頭著者は「参加者としての観察者」)

分析はCharmaz(2014)の構成主義的グラウンデッド・セオリーによる3段階のコーディング。信頼性は三角検証、メンバー・リフレクション、研究日誌によって確保された。

三角検証の一例が示唆的である。個別インタビューでは全教師が「教育法を共に開発する活動」を最も価値あるものと語った。しかし実際の会議を観察すると、教育方法の開発に割かれた時間はわずか5〜10分だった。この食い違いが、本研究の中心的な問いを開いた。

結果

第1段階(2003〜2006年):教育法を共に開発する——最も効果的

ハナロ教育モデルは2002年に開発されたばかりで、適用のための統一された様式もガイドラインも存在しなかった。教師たちは授業計画の様式そのものを作るところから始めた。

当初、ハナロ指導モデルの枠組みがなかったため、まず枠組みを作る必要があった。すべてのスポーツに適用できる基本的な枠組みを作成するのに数年を要した。……まさに「骨の折れる作業」だった。フレームワークの99.5%は、文字通りゼロから作り上げたのだ。(ピーター、フォーカスグループ)

バレーボールを教えるためには、様々な(指導・学習の)エピソードが必要だった。……この段階では「活動パッケージ」の作成が主な作業であり、それを生徒に提供した後、パッケージにいくつかの修正を加えた。(ジョン、フォーカスグループ)

開発された戦略は各自の学校で実践され、次の会合で試行錯誤が共有され、洗練されていった。ジュディが10種類のステップエクササイズ動作を開発した経緯も語られている。

開発中は、他の教員がステップエクササイズの動きを取り入れるとは予想していなかった。しかし実際には、ほとんどのメンバーが10の動きを活用し、私が考案した動きを高く評価してくれた。(ジュディ、インタビュー5)

従来のCPDとの違いも明快に語られている。

通常、ほとんどのCPDプログラムで提供される内容は、私の授業に直接結びつけられないような、より一般的なガイドラインばかりだった。しかし、CoPのミーティングでは、内容が私の授業実践とより密接に関連しており、メンバーの実際の経験に基づいた非常に具体的なヒントが得られた。(ジュディ、インタビュー6)

第2段階(2007〜2011年):既存のメンバーから学ぶ——中程度

CoPとハナロ教育モデルが知られるようになり、5年間で19名の教師が加わった。焦点は「既存メンバーから学ぶこと」へ移る。教職2年目の新メンバー・ジョージの語りが具体的である。

バレーボールの授業の準備をしていた時、私はジョンに「体を動かすのが苦手な女子には、どのような活動が適しているか」といった質問をした。……マイケルは前年度、ティニクリングダンスを指導し、女子生徒たちから好評を博していたため、私は授業準備について、竹をどこで入手するかといった具体的な情報を尋ねた。マイケルは本物の竹を購入したが、それは非常に高価だと教えてくれた……さらに、代わりにPVCパイプを利用するという情報も提供してくれた。(ジョージ、インタビュー3)

これは、経験豊富な創設メンバーと新参者のあいだの学習——古典的な正統的周辺参加の構図である。有効だったが、著者らの評価は「中程度」にとどまる。

第3段階(2011年〜現在):個人での学習と刺激の欠如——効果なし

第4グループが参加した頃、急激な変化が起きた。「共同開発」も「既存メンバーからの学習」も、もはや主要な学習形態ではなくなったのである。

背景には「外部活動」の増加があった。CoPが広く知られるようになると、一般の体育教師向けワークショップでの報告や中等学校教科書の執筆など、指導法の共有・開発とは直接関係のない機会が増えた。

このCoPの教員たちは、外部から大きな注目を集める講演や発表に招かれている。そのたびに、誰かが準備をする際には、皆で集まって準備を手伝う。そのため、CoPの会議は、教育について学ぶというよりも、発表の準備をする場になってきている。(スティーブ、インタビュー5)

加えて、教授が立ち上げた内部プロジェクトも焦点を奪った。

明らかに、以前は教育に焦点が当てられていた。……もちろん今でも教育について話すことはあるが、どう説明すればいいだろうか、(うーん……)(教授の)プロジェクトへの協力が、現時点では中心的な焦点となっている。……「ハナロ」教育モデルに基づく授業との関連性は明らかに少し低下しており、それはかなり残念なことだ。(ジュディ、インタビュー2)

結果として、教師たちは個人的な手段で学ぶようになった。

今年、私にとって最大の成長は、自己啓発にあると思う。授業の質が向上したのは、CoPからの助けによるものではなく、体育日記を書いたことによると考えている。……自分なりの教育哲学が芽生えたかもしれないと感じている。(ヘンリー、インタビュー5)

そして、新規参加者と創設メンバーの双方が意欲を失っていく。

彼ら(創設メンバー)は毎週1回、欠かさず集まり、教授と共にハナロ教育モデルの実践について話し合っていた。つまり、私がCoPに参加した際、期待していたのはまさにこの種の交流だったのだ。しかし、現実はそうではなかった。(ジョージ、インタビュー3)

ハナロ教育モデルを自分の授業に応用するための具体的なコツを学びたいと望む教師が数名いた……。しかし、一部の教師は状況に失望し、結局このCoPを辞めてしまった。(ヘンリー、インタビュー5)

(新規メンバーにとっては)私たちの経験から学ぶべきことがたくさんある。……つまり、私たちには何も新しいものがない。よく言うように、「もう経験済み」という状態だ。創設メンバーの多くは、その情熱を失ってしまったと思う。

考察のポイント

著者らの診断は明快である。PE-CoPは「潜在」「結集」段階からごく短期間で「成熟」段階の初期へと発展した。それを可能にしたのは、明確な共同事業(ハナロ教育モデルによる全人教育)と、共有レパートリー(モデルに結びついた開発活動)だった。CoPが個人的関係から自然発生したのではなく、特定の目的を遂行するために設立された点が、初期の急成長を支えた。

しかし第3段階は、CoPが「教育方法の開発」という明確な焦点を失った時期である。著者らはこれを「中空の木が育ってしまった」状態と呼ぶ。専門的学習を促す活動が激減し、代わりにCoPの規模を拡大する活動に置き換わったからである。Pyrkoら(2017)の一節が引かれる。

同じ問題について共に考え合うことがなければ、共有された実践を維持できるほどの相互関与が不足し、参加頻度の低い形態の参加を引き付けるだけの価値もなかった。

この知見は、CoPが規模を拡大したり外部への影響力を高めようとすると、その中核をなす能動的・協働的な学習の特徴を失いがちだというAtencioら(2012)の主張を裏付ける。したがって、CoPの目的や活動が教師自身によって(再)交渉されるとき、専門的学習はより効果的になりうる。

もう一つの問題は、経験豊富なメンバーの刺激の欠如である。ジョンとピーターは会議を「面白みのない」ものと表現し、「何か新しいものが必要だ」と述べた。著者らはWengerら(2002)を引く。

成功しているコミュニティは、故郷のような親しみやすさと安らぎを提供する一方で、新しいアイデアや新しい人々をコミュニティに呼び込み続けるのに十分な、興味深く多様な出来事も備えている。

結論として、第3段階(Wengerらの言う「スチュワードシップ」段階)のPE-CoPは、相反する2つの課題を同時に負っていた。(a) 新規参加者のために教育法の共同開発を続けることと、(b) 古参メンバーに新鮮な活動を提供することである。前者を重視すれば必然的に後者を無視することになる。求められるのは親しみやすさと新鮮さの最適な組み合わせだ、と著者らは述べる。

研究の限界として、CoPの3要素のうち「相互関与」を十分に検討できなかったこと、フォーカスグループが1回のみでカフェで実施されたこと、そしてデータが2015年時点のもの(8年前)であることが挙げられている。

まとめ

  • 2003年設立の韓国の体育教師CoPを、3つの発達段階に分けて記述した縦断的ケーススタディである。
  • 第1段階「教育法を共に開発する」が最も効果的、第2段階「既存メンバーから学ぶ」は中程度、第3段階「個人での学習と刺激の欠如」は効果がなかった。
  • 会員は増え続け2023年時点で33名だが、専門的学習の有効性は段階を追って低下した。
  • 原因は、外部活動と教授のプロジェクトの増加による「共同事業」と「共有レパートリー」の焦点の喪失——「中空の木」。
  • スチュワードシップ段階のCoPは、新参者への共同開発と古参への新鮮な刺激という相反する2課題を同時に負う。

専門家コメント

この論文には20か所以上の赤字を入れた。書き込みが多かったのは、この研究が私の関心のど真ん中にあるからだが、同時に、理論の使い方に課題意識があったからでもある。順に書いていきたい。

1.CoP概念は、生成の過程をつかめるのか

冒頭のCoPの定義に、私はまず「重要な定義」と書き、その横にこう続けた。「CoPの概念は構築過程を絡め取るものなのか?」

CoP理論は、共同体が「ある」状態をきわめて精緻に記述する。ドメイン、コミュニティ、実践。共同事業、相互関与、共有レパートリー。だが、それらが「どう作られたか」を記述する語彙を、この理論はほとんど持っていない。本論文はまさに発達段階を主題にしているのだから、そこを突破してくれるかと期待して読み始めた。

結果的には、期待どおりではなかった。この論文がやっているのは、Wengerら(2002)の5段階モデルに事例を当てはめる作業である。「潜在」「結集」「成熟」「スチュワードシップ」。段階の名前が先にあり、事例が後から配置される。実際にこのCoPで起きた変化の力学——なぜ焦点が移ったのか、誰がその移動を決めたのか——は、段階名では説明されない。この点については後でもう一度書く。

2.最も効果的だったのは、何も出来上がっていなかった時期である

第1段階の記述には、私は感嘆した。ピーターの「フレームワークの99.5%は、文字通りゼロから作り上げた」という一言。ジョンの「活動パッケージの作成が主な作業だった」。ジュディが10種類のステップエクササイズを開発し、それをメンバー全員が使うようになった話。私はここに「授業ネタの製作」と書いた。

身も蓋もない言い方をすれば、この時期のCoPがやっていたのは授業ネタを作ることだった。そして、それが最も効果的だった。ジュディが従来のCPDについて語った「一般的なガイドラインばかりだった」に対して私が書いたのは「理論よりも実践」である。

ここには、体育科教育学に身を置く者として引き受けるべき事実がある。教師が本当に欲しがっているのは、原理の説明ではなく、明日使える具体物ということだ。理論は捨てるわけはないし、なおその重要性は変わらないと確信しているが、それでもこの逆側の立場も押さえておかなければならない。そして、その具体物を「与えられる」のではなく「一緒に作る」とき、学びは最も深くなると述べている。協同学習の効果を扱った研究が示していたのも、結局は同じことだった——協働は、共に何かを作る具体的な課題があるときにだけ立ち上がる。

第2段階でジョージがマイケルから聞いた「本物の竹は高い、PVCパイプで代用できる」という情報に、私は「バンブーダンス(ティニクリング)」「即座に活用できた」と書いた。竹の値段の話である。だが、これこそが専門的学習の実質だった。

ただし、第2段階については留保も書いた。「周辺と正統さが生まれた」——既存メンバーが新規参加者を支援する構図が生まれたことで、この共同体には初めて中心と周辺が生じた。正統的周辺参加は、参加の深まりを説明する概念であると同時に、共同体の内部に非対称を導入する概念でもある。第1段階には「熟練者」がいなかった。誰も答えを知らなかったから、全員が対等に作っていた。第2段階で「教える人」と「教わる人」が分かれた瞬間、共同体の質は変わったはずだ。「教える人」が「学ぶ人」に戻るときに何が起きるかを以前扱ったが、この共同体では逆方向のことが起きた。全員が「学ぶ人」だった場所に、「教える人」が生まれてしまったのである。論文はこれを有効性が「やや低下した」とだけ書くが、私はもっと構造的な変化が起きたと読む。

3.何が焦点を奪ったのか——ここが最大の疑問

第3段階の記述に、私は最も多くの赤字を入れた。「マンネリ化・?」「発表が多くなり、本質的な探求ができず、各員の活動が多様化していく」「期待と現実のズレ」。

そして、教授のプロジェクトが会議の中心的焦点になったというジュディの証言のところに、こう書いた。「権威的な不均衡が負の方向にふれた」。

ここが本論文への私の最大の批判である。著者らは、第3段階の停滞を「焦点の喪失」という無主体の現象として記述している。共同事業が失われた、共有レパートリーが変質した、と。だが、実際に何が起きたかを事実に即して並べるとこうなる——教授が立ち上げたプロジェクトが会議の議題を占め、教授の依頼でメンバーがアンケートの妥当性を確認し、外部発表の準備が会議の中身になった。これは「焦点が失われた」のではない。焦点が、ある特定の人物の関心に沿って移動させられたのである。

この共同体は、教授が開発した指導モデルを共有し、35人中13人が同じ教授の教え子だった。設立当初はその濃密さが推進力になった。だが同じ構造が、第3段階では誰も焦点の移動に異議を唱えられない構造として働いたのではないか。学校と大学の連携を越境として捉えた研究を紹介したことがあるが、そこでの論点はまさにこれだった。大学と学校が組むとき、対等な協働に見える関係の下に、認識の権威をめぐる非対称が必ず走っている。論文自身が先行研究として「文化に根ざしたファシリテーターと教員のあいだの階層的な関係」(Yoonら, 2021——筆頭著者自身の論文である)を挙げているのに、自分たちの事例を分析するときにその視点を使っていない。相互関与を十分検討できなかった、と限界に書かれているが、これは方法上の不備というより、最も見るべきものを見ないで済ませたということではないか。

関連して、新規参加者の離脱の記述には「交流ではなく一方向の伝達だった?」と書いた。ジョージが期待したのは「毎週集まって実践を話し合う」交流だった。実際に与えられたのは、ハナロモデルの使い方を教わることだった。第2段階の「既存メンバーから学ぶ」は、対等な交流の入口ではなく、一方向の伝達の完成形だったのかもしれない。だとすれば、第3段階の停滞は第2段階にすでに胚胎していたことになる。

4.同質性の代償

第16ページの「同質と異質の同居」というメモは、この論文全体への私の応答である。

創設メンバーが「もう経験済み」と言い、新規参加者が「期待していたものと違う」と言って辞めていく。この二つは、同じ現象の両面である。共同体が同質になりすぎると、古参には刺激がなくなり、新参には入口がなくなる。著者らはこれを「親しみやすさと新鮮さの最適な組み合わせ」と表現し、Wengerの「故郷のような親しみやすさ」という比喩を引く。美しい表現だが、実践的な指針にはならない。

私が考えたのは、越境学習の枠組みで見たときの読み替えである。第1段階のこの共同体は、実は異質性に満ちていた。誰も答えを知らず、それぞれの学校の条件が違い、モデルは未完成だった。だから協働が必要だった。第3段階の共同体は、ハナロモデルという共通言語を完成させ、同じ大学の同じ教授の教え子が中核を占め、異質性を使い果たしていた。

協働は、共通性の上に成り立つのではない。違いが残っているあいだだけ成り立つ。「教育法を共に開発する」という活動が第1段階でだけ有効だったのは、その時期にだけ、本当に開発すべきものが残っていたからだ。同じ活動を第3段階で復活させても、おそらく機能しない。著者らの提言(a)「新規参加者のための教育法の共同開発に焦点を当て続ける」は、その意味で有効性が疑わしい。復活させるべきは活動ではなく、異質性のほうである。

そして、創設メンバーが「情熱を失った」という記述。職場の学習における感情を扱ったレビューを紹介したときにも書いたが、退屈や失望といった負の感情は、学習の障害であると同時に「ここでは何かが機能していない」という診断情報でもある。ジョンとピーターが「面白みのない会議」と言ったとき、彼らは共同体の状態を最も正確に測っていた。その声を、共同体を作り直す資源として使えたかどうか。この論文が記録しているのは、使えなかったという結末である。

5.「アイデアの共有」は境界オブジェクトだったか

考察のなかで、著者らが「共通の実践に向けたアイデアの共有が、CoPの発展を『潜在』段階から『成熟』段階へと後押しした」と書いている箇所で、私は「アイデア」に赤丸をつけ、「境界物?」と書いた。

ハナロ教育モデルは、境界オブジェクト(boundary object)として読める。中学校と高校、経験4年と17年、異なる学校の異なる生徒——立場の違う教師たちが、それぞれの文脈で自分なりに解釈できるだけの柔軟さと、共同作業を成立させるだけの頑健さを、このモデルは持っていた。だからこそ、それを媒介にして協働が成立した。

だが境界オブジェクトは、解釈の余地がなくなった瞬間に機能を失う。フレームワークが完成し、活動パッケージが揃い、「使い方」が確定したとき、ハナロモデルは境界オブジェクトであることをやめ、単なるマニュアルになった。第3段階で会議が発表準備の場になったのは、モデルをめぐって話すべきことが尽きたからだ。

この読み方が正しければ、実践的な示唆はこうなる。共同体を維持したければ、共有物を完成させてはいけない。あるいは、完成させたら次の未完成物を持ち込むしかない。著者らが「新しい共有レパートリー」の必要を説くとき、それは正しい。ただ、それがなぜ必要なのかの説明が、段階論では出てこない。

6.評価すべき点

批判ばかり書いたので、この論文の価値も書いておきたい。

第15ページの「開発課題は有効」、第16ページの「焦点を維持することが重要」「焦点が変化した場合、再交渉するのがよい」というメモは、素直な同意である。とくに「(再)交渉」という語を著者らが使っていることを、私は重く見る。焦点は自然に失われるのではなく、失われかけたときに言葉にして問い直す作業が要る。日本の校内研究でも、研究主題が形骸化していく速度は驚くほど速い。年度当初に決めた主題を、11月に誰も覚えていない。再交渉の機会を制度として組み込むこと。これは明日から使える示唆である。

もう一点。この論文は衰退を書いた。前回紹介したKoらの論文が、内部リーダーだけに聞き取って成功の側面しか描けなかったのに対し、本論文は離脱者の存在を記し、創設メンバーが情熱を失ったことを記し、会議が発表準備の場になったことを記している。「参加すると何が得られるか」ではなく「共同体はどう痩せていくか」を書いた論文は、この分野に決定的に不足していた。三角検証の場面——全員が「共同開発が最も価値ある」と語ったのに、実際の会議では5〜10分しか使われていなかった——は、質的研究の方法上の誠実さとしても見事だと思う。

最後に、私なりの課題を一文にまとめておく。この論文は、CoPが衰えたことを記述したが、誰が衰えさせたのかは書かなかった。Wengerの5段階論は、共同体が生き物のように自然に老いていくかのように語らせてしまう。だが実際には、そこには焦点を移した人がいて、それに従った人がいて、黙って辞めていった人がいる。共同体の変遷は、自然史ではなく政治史として書かれるべきではないか。それが、この20年の記録を読み終えて私が最も強く思ったことである。


元論文情報

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